命日から3日前です。
もう主人は亡くなって居ないのに、
そこから6年も経つと言うのにどうしてかカウントダウンなんですよね…
毎年、そんな気持ちになります。
本当にもう、今となってはどうしようもない、どうにもならない事に決まってるのに、
まだ「今」は生きていたんだな。
どうにかすれば、死ななくてすんだのかな。
こんな意味を持たないことをやっぱり思います。
昨日のブログのコメントは閉じましたが、別なところにいただいたコメントを読んで、とても共感するものとして思い出しました。
あの時の私はそう、
(しつこいようですが)朝元気に出て行った主人が、まもなくの一本の電話から世にも恐ろしい展開となった末に遺体となり自宅に運ばれて、
その後から長く続く、お花の強い匂い、そしてお線香のもくもくとした煙、家中に漂うその香り…
それが本当に怖かった。
目がしぶしぶするような、
喉がイガイガするような、
仏壇やそんなお花たちを置いたことも無かった我が家にとって、私にとってのそれは悲しみと、まるで「恐怖」と感じるような気持ちでした。
わかっているんです。
お花、今となっては「人の気持ち」です。
もちろんただただ有難い…
主人を想ってくれるだけで、
頭の片隅にでも不意に思い出してもらえるだけで今の私にはそれが一番嬉しい。
だからそんなお花にも感謝を思うしかない話ではあるんだけど、
どうしても私には忘れられない、たぶん一生忘れる事は無いであろう当時の記憶、そして気持ちなんだと思います。
なので私は6年が経つ今も、お花とお線香は自分の納得いくものに少なからずの拘りというのか、毎回考える自分がいます。
そしてぶっちゃけ、現実問題として大きな大きな供えられたお花を少しずつ処分していく作業というもの、これもやっぱり虚しく…悲しく。
私の使うお線香は、長いことずっとこれでしたが、
最近はこちらも使ってます。
もう6年が経つのだから?
余計に飾るお花は(私にとって)明るくて、可愛らしくて、決して華美ではないような心が落ち着くようなものです。
あ、専用の造花、プリザーブドフラワーもしっかりあります←案外、とても良いです。
私としては生花が全てではない、
と思っています。
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