そうです、嫌なんです… | 突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

2,018年6月
54歳で主人が突然亡くなりました。
私はその時45でした。

同じような経験や思いを持つ方、そしてそうでない方もこの突然の出来事、この思い、何よりもこの世で54年生きていた主人の事と、その後の私の人生を知って頂けたら幸いです。


命日より数日早く終えた七回忌、

誰が来る…でも無かったけど、やっぱりここまでの準備はそれなりにあって、気の張る自分がいました。



法要という形を終えたことでの肩の荷が下りたような気持ちはあるけど、やはり当日とは違うから、またその日の気持ちと言うのは違うのがわかります。
今日よりもそちらの方が気持ちは大きい、重たい…とでも言うのかな。


今回、長女は来ていませんでした。
長女から、「お花を送りたいけどお母さん、嫌なんだよね?」と予め連絡が来ました。

そうなんです、お花はいらないんです…
だから事前に連絡が来て良かった。

ちなみに長男もこんな時はお花なので、言葉違うかもだけど、私にとっては少し仰々しいかなと思えるその大きな、そしていかにも…という存在今の私の気持ちには逆効果なものがあるので苦手です。


お花のことは何度か触れて来ましたが、私の置くお花は、自分のその時の気分に合わせた、好きな量(あまり沢山は好まないので)、色だったり形だったりです。

だいたい私はもともと「花を愛でる」とかいうタイプでも無かったけど、やはりこんな時のお花というものは当然のように「特別」なわけだよね。
だってそれはいわゆる仏花だから。

人が亡くなったからの手向けられるそのお花、
それは当時の私にとってはあまりに恐ろしく苦しい気持ち、そこを今となっても忘れられないようにも増長させた存在?そういうものとなりました。


朝元気に、普通に出て行った主人がまさかの遺体となり家に運ばれ、
そしてそこから我が家にたくさんの花たちがいきなりどんどんやって来るという、
しつこいようですがその日の朝、少し前までは全く考えもしなかった、その状況です…

あまりに怖かった、
言葉が難しいけど、恐ろしかった気持ち?だったのかな。それこそ主人もいないのに。


当然、お花が悪いわけじゃない。

でもあの時のとかとか百合の花、それらの大きさ?量?形?
それは今でも忘れられないような、少なからず重苦しい気持ちに拍車をかけるものとなってます。


なので今でも…
私が主人に手向けるお花は私らしく私の好きな、心が静かに保てるものが良いですにっこり昇天

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