最初で最後だったのに | 突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

2,018年6月
54歳で主人が突然亡くなりました。
私はその時45でした。

同じような経験や思いを持つ方、そしてそうでない方もこの突然の出来事、この思い、何よりもこの世で54年生きていた主人の事と、その後の私の人生を知って頂けたら幸いです。


娘が、次女がついに働きに出るらしい。

びっくりしたんだけど、今の幼稚園って4年保育からあるのね。
下の子(来月で2歳。通称マツモトを来春から入園させるから、その前にもとりあえず土日だけのパートが決まったらしい。

その場所は空港。
それは時給が高いから。(らしい)

と、そこまではとても良い話と言うか、次女家族は休みの度に必ず出掛ける家庭だし、とにかくよくお金を使う…イメージ💦

本当〜〜に余計なお世話を承知で言わせていただけるなら、

子どもの小さなうちにお金を頑張って貯めないでいつ貯めるんだーなどと思っていた私は、その、一歩踏み出すことが心配では無く、逆にいいぞ、いいぞと思ってしまった。

だけど「空港」という、その働く場所を聞いて一気に私の心が曇った気持ちになりました。


娘の働く場所の目の前には空港内のフードコートが広がります。
そこに私にはとても忘れられない自分を許せない思い出があります。



主人が亡くなる前の年、長女宅(大阪)に行きました。

その日私は半日仕事で、主人は本職は休みを取っていたけど、義実家の家業を午前中はしてました。

あの日昼から二人で出発したその旅行、それは私たちの結婚生活の中で初めてであり、最後でもあった「二人きり」の旅でした。

なのにそんな時間を喜んで楽しむ…ではなく、
いったいなんなのか、何が気に入らないのか、
疲れていたのか非常に私は不機嫌で…

もうこれって何の言い訳もなく、私が主人に対して素直に思いやりを持って接することなく、
あの日の様子、状況が実は今でもとても覚えているほど忘れられない、ただただ懺悔の思いです。

そんなあの時、出発前に私は一人自由に空港を見て回りたい気持ちもあって主人にフードコートで「うどん」を食べてもらいました。

でもね…

きっと主人は別に食べなくても良くて、食べるなら一人ではなく私と一緒に、二人が良かったんだと思います。
そういう場所、何だか慣れないのもあってあまり一人で座って食べるとかを好む人では無かったから。

でも私、買い物とかも慣れてない、普段行かない主人はどこへ行っても私の後に着いて歩くことがどこか鬱陶しく思えていて…

だから主人にはそこで食べてもらっていて、私は好きに見て来ます…なんていう身勝手さからでした。


あの時のあまり嬉しくなさそうな?複雑な主人の顔を思い出せそうなほどの私がいます…


これから飛行機に乗って旅立つときに、
 
久しぶりに娘に会えるっていう楽しみなときに、

そして、私なんかとは違いたまのたまの滅多には無い主人の連休、行楽と言える特別な時間に、

どうして私は、ごくごく普通に穏やかにも笑って過ごせなかったんだろう…



これは、さすがの私でも後に反省の思いも募り、
申し訳なかったと、
向こう(主人)はとてもニコニコ楽しそうに嬉しそうにしてたのに私は何故そこを跳ね除けるようにして過ごしていたのかと、

すごく申し訳なく思ったから、次に懸けていました。



次こそリベンジと、

必ず私の反省を生かして主人に心から楽しい旅行としての思い出を作ってあげたいと、私の中での翌年の計画はかなり綿密にありました。



なのに、
叶わずに主人の人生は終わりました。





あの時の、フードコートの主人がうどんを食べた席、

そこを今だ覚えていて、行く度に胸が苦しくなるので怖くて、

悲し過ぎてそこには行けない、見たくない気持ちです。


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