旦那様を亡くしてからずっと美容室に行けずに居たけれど、「希望」を見つけられたことで死別後はじめて行きましたと、そんな印象的なコメントをもらいました。
すごくすごく、その気持ちがわかる気がしました。
主人の居なくなった世の中で、いったい何のために、誰のために髪を整えに行くのか…
そんな気力が湧くはずも無く、どうでもいいんですよね、そんなこと。
いや、可能なら行きたいんだと思うの本当は。
それは生きているのだから、出来ることなら誰だってきっと…本来なら、スッキリしてしまいたい部分かと思うから。
でもそこに何の意味があるのか。
ただ虚しくて、自分だけが残されて生きてることが悲しくて、
だからそんな事にはとても足が向かないんだよね。
本当にとてもよくわかります。
そして、当然(こんな体験って)人にもよるでしょうけれど、
主人の声が聞きたい、
想いが聞きたい、伝えたい。
私の想いを聞いて欲しい。
そんな、絶対不可能だろうと思えることが可能になるって、
それってどれほどの希望でしょうか…
やっぱり逢いたくて、
実際に確かな「想い」が聞けても、それはあくまでもう天の上の人なんだと今はやはり思えて、
遠い人、自分とはもうまるで違う世界で生きる人なのだと思い、悲し過ぎて昨日の夜中に泣けても来ました。
だけど、考えてもみて…‼️
どんなに遠かろうと、別な世界であろうと、(魂は)生きているんです。
体験したからわかります。
現実は何も変わらなくて、どうであれ私は大変な思いをしながらやっぱり生きていくわけで、
あの頃の優しい人はもう居ない。
それって、そう考えたらやっぱり絶望で、どこに救いがあるんだと、そこに目をやるとそれしか思わないんだけど、
それでもあの人の魂は永遠に生き続けていて、
例え手出しは出来なくともいつもわかってくれていて、見ていてくれてる。
そう思えるだけでそれは全然違うはず。
私には疑問がありました。
主人(故人)が早くに生まれ変わっちゃったら、そしたら新しい人生となるわけで、
そうなればもう私は関係ないの?見守ってくれるとかなくなるんじゃないの…?って。
でも、(例の)動画をみてわかりました。
彼方の世界の時間ってものすごく、壮大にも長過ぎて、
こちらで生きる、そんな数十年レベルで生まれ変わるとかは無いと。
私たちにとっての大切な人は、私たちのことを、私たちが生きている限りずっと、死ぬまで見守り続けてくれているそうです。
そんな世界観だったんだね。
知らないより、
なんでもわかっていると、自分自身がとても救われると思う。
信じるか信じないかは人それぞれ。
別に信じない人に、死んだら人は「無」になると思う人に無理強いしてわかってもらおうなんてさらさら思わない。
だって、人は人だし自由だから。
だけど私は信じているし、全てのこんな事実は私が生きていく上での「大きな支え」だととても思ってます🥲