いやー参った | 突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

2,018年6月
54歳で主人が突然亡くなりました。
私はその時45でした。

同じような経験や思いを持つ方、そしてそうでない方もこの突然の出来事、この思い、何よりもこの世で54年生きていた主人の事と、その後の私の人生を知って頂けたら幸いです。

こんな事をいちいち書いてる自分も嫌だし恥ずかしい話でしか無いんだけど


私が悪いのか…わからなくなって来る。





リビング続きの和室に仏壇も神棚もある。


私の朝は、そこから始まる。




娘たち親子が来た時は『そこが良い』と言うし、まぁたいてい実家という所に来るとそんな部屋に寝ることになるのかなと私も実際思うところはあり、そこに寝せてた。


でも、ムコさんが来たらそれは話が少し違って来る…






朝起きて、仏壇神棚、それぞれ一通りのやる事がある。

どちらもやるのに何度か行き来するのと、オマケに私は家を出る前というのも手を合わせる。


それに加えて、

実はそこの部屋の押し入れの戸を開けたところに、今は私の普段着る服がそれなりに沢山置いてある。


だから朝はとても出入りする。



それがあるから私は事前に頼んで言ってた。


ムコさんが来たら、

ムコさんだけは違う部屋に布団敷いたからそこで寝るか、

それか家族一緒が良いなら、揃って皆んなでそこの部屋で寝てね…と。





そしたら昨日起きたら、ムコさんもそこに寝てた。

チビちゃん赤ちゃんの関係でたまたまか…

と思って昨日は娘に任せてやらずに出勤したけど、

今日も寝てた。





こんな事、


来てる時ぐらいは譲って、そこで寝かせてあげるべき。


と言う考え方もあるよね。わかります。



洋服だって、こんな時ぐらい何とか工夫してやれば済む事なんだろうし…







でも、私の中でのそれは譲れない部分だった。


なぜなら、それらをやって一日がスタートするという気持ち、私の中でそこへの比重は大きいから。



遅れてでも(皆んなが起きてから)私が出来るのなら良い。

でも仕事があるからそれは出来ない。



だからそこを捻じ伏せてまで、洋服なんかも移動して私が何とかするより、別に違う部屋で寝ることが出来ないわけではない、出来ない理由があの子たちには無い。(ミルクが必要な赤ちゃんでも無い、そして違う部屋にもテレビもちゃんとあるし、不都合はない)


そう思ってるからお願いしてあった。






多分娘からすると「気にせずやっていいから…」

の気持ちから、二組の布団が大きく離れていた。(仏壇まで通れるように)


でもさ、わかってると思うんだけど仏壇だけの話では無いのと、


いくら気にせずったって、ムコさんも孫もぐっすり寝ている側でチンチン鳴らせますか?!

って話でしょう。







娘には別にいーよと思う事でも、

私には良いはずがない。


他のことはも〜〜目をつぶってつぶって好きにさせてる、(結果私も合わせてる)のだから、そこは私の決めごとかも知れないけど、守ってもらいたかったーーもやもやもやもやショック











ごめんなさい。



そのぐらい〜〜と思われても、私の中では大事な部分なので、守ってもらえないこと、それはそのぐらいたいしたことない、大丈夫でしょ…と思っていそうな娘に対して怒ってます。




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『人の考え方』って本当に、面白いくらいにさまざまだなぁと思う。



私も本当は、もっと気楽に考えられるようにもなりたい…

もっと力抜いても考えられたら…


そしてそんなに想いを強要してしまうような?こんな重たいような性格で無かったら…



そう思います。





でも、



私の手で育てて来た娘、

遠くから来て、たまにしかそんな想いを見せてくれる場は無いこと。



だからお父さんにあげてくれなかったこと

それはやっぱりとても悲しかった。






そんなこんなで、

今朝も手を合わせる事なく出て来ました〜(早くにね)



行ってきまーす💨