すごーく勝手な思い、書いてます。
何が正しいのか…そこは理解しているつもりなので、ご了承願います。
生後7ヶ月の子の親から、
一歳4ヶ月の子の親になってました。
私の子とは思えないようにもマメな子なので、
マゴに数々の芸や言葉を教え込んでいて、すごくびっくりした。
マゴがいろいろ披露してくれる事にびっくりしたんじゃなくて、
親としての娘の姿を目の当たりにした気がして、びっくりした。
娘の、
親としての姿。
それって何だか寂しいものなんだぁと知った。
本当にこんな事は当たり前の当たり前のことであるし、自分こそもそうだったはず…なんだけど、
学生時代なんかは当然自分中心に生きていた子ども。
その子が大きくなり大人になって、
私に対しての優しさや気遣いが出て来て、長女の場合は持った性格もそうなのか、たくさんの問題があった中で随分と私に、これでもかと言うくらいに寄り添って、根気良くも支えてくれました。
だから本当に有り難かったし、
私はそこにとても心地良くも甘えていました。
それが今は(当然ながらも…)一番大切なのは我が子。
私などでは無い。
それで良いし、
そうじゃなくちゃ困ることでもある。
でも何だか寂しく思えてしまった。
子は親の所有物では無いから、
これが正常な形と思う。
この家を出て大阪に行ってから4年半、
結婚して近隣県に行ってからは一年と少し。
当然のようにも娘は向こうに慣れている。
単身、誰も知る人のいない遠くへ出て、
辛そうな時、
挫けそうな時、
少し病んでるようにもこちらに帰るかな…
そうも言ってた時もあったのに、
もう今はそんな娘の姿は無い。
それで良かったのに勝手にも寂しく思う私は何なんだろう…
人は、同じところにずっと留まっては居ないんだよね。
それが成長?とも言うのかな。
変わっちゃったね。
娘は「変わらないよ」ってよく言う。
きっとそう、変わらないところも娘の中にはたくさんあるのだとも思う。
でもそれ、その変わらない部分ってもう表面に出すことってあんまり無くもなってもいるし、
何よりここからまた、どんどん変わって行くのだと思う。
そういうものなんだ。
なのに今日はそれを感じて寂しく思ってしまった。
「かつてあった姿」が、もういろいろ無くなって来てるのね。
だからやっぱり自分は自分なんだと、どうであれ、『私の人生』を生きるしか無いんだなぁと再確認した気持ちでした。
何だかんだ、
まだまだだな…親としての自分
こんなのも、隣に同じ親として主人が居てくれたなら、
そしたらまた少し違ってたかな。
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