前々からあったはずなのに、
目に付かなかったせいか無意識にも避けていたのか、高い所に上げていた袋を発見。
何の気なしに開けた。
主人の、
亡くなる直前まで通院していた耳鼻科の薬。
主人が亡くなったのは昨年6月7日。
薬を貰った日付けが5月28日。
いつもあまりに関わり薄く、ひたすらすれ違いで生活していて、更にはいつも楽しく笑って会話したい、仲良くしたい主人とは対照的な、どうしてかツンケンして、偉くもないのに偉ぶって、横柄な態度しか取っていなかった私。
そんな私が、
この日の事だけはとてもよく覚えている。
何故なら、
その翌日に私は長女の居る関西へ行く日だったから。
こっちは明日から何度目の関西〜なんて思って若干浮き足立っているところに、主人はいつもと同じに穏やかで、お小遣いまでくれたりして、
更には結構遠い私の父の入院していた病院まで連れて行くよ、ってそう言ってくれてた日。
この日、
本当に忘れもしない、5月28日の月曜日。
主人は休みの日。
私は仕事終わりで月一婦人科。
主人も耳鼻科の日だったから、隣町のお互いの病院まで車で出向き、私はそこから一人で実父のお見舞いに行くつもりだった。
主人には、実家の畑もあるから、どれほど仕事もあって追われてるか、時期的にもわかっていたから、「帰っていいよ。病院は一人で行くから」って言った。
けど、
『いいよ、いいよ、連れてってやる〜』
そう言われて甘えた日。
だから、いつになく、
珍しく、
私は主人に、ごくフツーに優しかった。
さすがに自分は翌日からまる1週間も遊びに行くわけで…
心苦しかったから
私の方が婦人科早く終わり、そんな事絶対いつもならしないのに、わざわざ耳鼻科まで主人迎えに出向いて、甲斐甲斐しく待っているという…
他人様には普通でも、
私たち夫婦にもとても珍しい光景。
しかもその後、近くの駅構内にある、ワインソフトクリームを初めて主人にも食べさせてあげたいと一緒に出向いたりもした。
最後の私の父との対面の日。
今でも病院での主人の振る舞いが、鮮明に思い出されて悲しい。
帰りには、そんな遠くのスーパーで、
明日から私が居なくなる事に備え、色んなものを、主人に選んでもらい買った日。
これが、
生きて居た時の主人との最後の外出の日となりました。
翌日から私は予定通り関西の長女宅へ行き、まる1週間滞在。
帰って来た日の、翌々朝早くに主人は亡くなりました。
今思うと、その5月28日の行動が、
せめてもの心穏やかな時間をくれて居たのだと、そんな風にも思えます。
そして、
これだけは本当に本当に良かったと思っているところ…
それは、私が関西に行っている間に起きた事では無かったという事。
一歩違えばそうなってました。
もしそうだったならば…
今の私とは到底同じでは居られなかったと思います。
そして、
恐らく義実家からも恨まれ兼ねなかったと思います。
実家で亡くなった主人でしたが、
そこは関係なしに、嫁が不在だったから…疲れ果ててこうなった…と、そうなったのではないかと、今、時間が経って思います。
戻れるものなら、
例え結果は変えられないとしても、もっともっと会話をすれば良かった。
せめて、
生きて居た主人の顔をよく見て、声もよく聞いておくんだったな
これ、
どうしようかと一瞬思ったけど、今は無理。
こんな、一番記憶に新しい、主人の生きて居た証のもの、今はまだ処分したりは出来ない!
もう少しそのままに。