自分の関心が静代さんの方に向かうと自我が二の次になる、それが自分にとってはいいのだ。そうすることが負担ではない、全然重荷ではない。愛の力強いベクトルのなせる技。毎日心地よく体も健康になってゆく自然の摂理。やさしい心とともに健全になってゆく。自分が善き人間になってゆく、情愛、まごころの摂理を体得するように。
彼女の家でお母さんの肩をもむ。ついでに彼女の肩をもむ。気持ちがほぐれて、お母さんもよろこぶ。そういうとき、ショパンの繊細でやさしい曲をかける。
「あなたのやさしさだけがいつも全面に出てくるといい」という土井さんのことばが思い出された。
「人として惜しいからこうして言っているのよ。あなたのやさしさだけがいつも全面に出てくるといいのだけれど」
「でも気分屋じゃなくなると、それは自分ではないような気がする」
「あら、そう主張したくなるのね。でも、心して徐々に直していくことは可能じゃないかしら、と思うけど」
相手の男性恐怖症を治すため、自分のわるいところが減じて、やさしさが前面に出てきて、気分屋を克服して自己変革ができるように思う。今の僕の生き甲斐となっている。すべては愛する静代のために。やさしさ満載でつきあう。自分ももっともっとやさしい人間になろうと思う。それが僕の心情によい。気晴らしと心の休養と癒し、徐々にポジティブになってゆく彼女。真のやさしさに目覚める、それが心地良い。僕はずっと彼女を見守ってゆきたい。
彼女は男性嫌悪でセックス・アレルギーかも。でも愛したい、信じたい、男を信じれる女性になるように。僕は、彼女にさらに一層やさしくなりたいと思う心がいい、もうきみが生き甲斐だ。
つらいときこそふたり心をあわせてがんばりなさいというが、実際はぎりぎりのところで、それぞれの本音や弱い人間力が出てしまうものだ。でも何が何でもそこをふたりで乗り切らないと先が続かない。だから、がんばる、これからもがんばるのだ。
静代さんは僕と婚約して、家業を継がないことになった。