四月、実家の庭の花見に皆が集まった。
美帆は中等学校の先生とお見合いをして、めでたく結婚してこの地を離れていった。(嫁いだ先が森川家だったので彼女もMMとなった)
英太さんは博子さんと結婚して、発育のよい子どもが二人いる。公子さん夫婦には待望の男の子ができて、家族連れで会うと、真理子が遊んであげている。才気あふれるおませな真理子はふくよかな丸顔で、早くもお化粧をし出して母親をやきもきさせている。
飼っていたニッパーはもういない。他家の猫がわがもの顔で庭を素通りしている。でも、犬ながらニッパーの果たした役割は小さくない。当時未婚の姉の癒しになっただけでなく、散歩に行けなかった母もかわいがって、庭先でブラッシングなどをしてやっていた。散歩の習慣のない僕は語る資格もない。ほとんど何もしてやらなかった。衰えていった最期は親しい真理子が看取ったのだ。それでよかった。言いたくないが、他家に嫁いだ姉は裕福になって実家に戻ってきたが、父の世話にかまけて、犬の世話が見るからにおろそかになっていた。もう癒される必要がなくなったとはいえ、現に生きているんだから、必要とされていると思っているんだから、じゅうぶんな世話をしてあげないとかわいそうだ。人は何か大きなものを得ると、人として何か重要なものを失うものなのか。その点はニッパーも以前の姉とはちがうと感づいていたと思う。愛犬として悲しい心の内を無邪気な真理子が来ては、食べ物、お散歩、爪切り、毛繕い、シャンプーなど親身な世話をして心のケアをしたのだ。無病でいつも元気だったのに、いつしか老犬になってしまい、食が細り、最後は水も飲まなくなって、亡くなった。火葬にふされ、今は庭の桜の木の下のお墓にいる。特等席で松本家を見守っている。
姉と話していた娘が僕の所にやって来た。
「ねぇ、なぜわたしは真理子という名前なの」
「真理を探究する聡明な子に育つようにと、ふたりで考えてつけたんだよ」
「ふーん、真理かあ。将来なんになろうとも哲学することが大事だと校長先生が言ってた。哲学って何」
営々と代々続く生命の木、落葉樹のように枯葉をおとして新緑の芽を出す、みすぼらしい冬枯れのあとの清々しい新緑の春。生命は営々とつながれてつながってゆく。ほんの刹那によって人はつくられ、長いようで短い過程を経て、必然的に人は死んでゆく。最後の審判があるなどといって不安がるのはおかしい。短い人の一生の間の善悪の行いと悠久の自然の営みとは関係がない。あくまで、人の世の安定、人心の安定、心のありよう、人として落ち着くさまを説くのが筋である。自分という一つの生命の現世におけるあり方、どう生きたらよいのか、いかに生きるべきかを自問するのが人の生であり、哲学である。真理の探究、ものの本質を考える、根本義を極めようとする事と言ってもむずかしいか。
「すべてに通ずる道を見つけだそうとする事だと思う」
「そんなものがあるの?」
「この家の前の道だってずっとたどっていけば青森の竜飛岬まで通じている。海に出れば地球をぐるりさ」
「でも航海って危ない事も」
「見つけ出すには、新しいものを発見するにはそれなりのリスクが伴うものだよ。こわがったり、努力を惜しむと発見はできない」
考えている様子の真理子を見て、
「この先の青春は人生の船出、楽しみいっぱい、リスクもいっぱい」
「どうすればいいの」
何事かをなすとき、希望の花が次にまた咲き出すようにするとよい。前向きな姿勢、意欲が大事だ。
「自分を信じること、いい友人を得ること、あとは周りをよく見て安定走行する」
「パパはどうなの」
「不安定なところもまた工夫して楽しいものだよ」
哲学するとは、人生のさまざまな状況でどうしたらよいのか、最善の手、最善策を見つけること、人生は自分にとってよいものを見出す、見つけ出す、手探りする過程である。とは言っても、実際はよれて本筋からずれて、すったもんだするものだ。ああ、それこそ哲学が足らないか。
「ママはMMだって自慢している。真由美という名前をだれがつけたの、パパ知ってる?」
「うん、聞いた話では、お母さまのたっての頼みだったらしい。これがわたしの最後の子になると思いますから、どうかわたしに名前をつけさせてくださいと。名のいわれはわからないけど。ママは病弱だった母を慕う気持ちが強い。だから恵まれない女性を支援する団体をつくった」
「ふーん、わかった。聞いてよかった。わたしもMMだから」
真理子が今度は渋い表情で、
「パパを弱い男だって言う人がいる」
身内の者がからかわれているのを見るのはつらい。特に自分の親を悪く言われるのは心外だろう。
「名前がつよしだから逆によわしと言われてきた」
「それでいいの?」
「小さいときからそうなのでなんとも思わないよ。僕には全然けなしことばじゃない」
「気にしてないのね」
人を評して「弱い」と言うのはさまざま理由があると思う。EDであることを蔑むのか、資金運用者であることを妬むのか、単に身体が弱い男だと言うのか、一面を見て軟弱であると言うのか。弱い男には、きりっとした、逞しい、強い、でも心優しいママのような女性が合う。
「鰯はすぐにいたむ、くさるから弱い魚と書く。でもたくさんいるから安いし、おいしい」
「いわし料理いっぱいある」
「うん。為政者からみて一般大衆、弱い者がたくさんいるほうが都合がいい、うまみがある」
「よくわからない」
「弱い者が多いことで人間社会が成り立っている。社会の主要な構成要素だよ」
「なんかわからない」
「超AIが全分野を席巻する将来は人間の大多数が弱い者になる。だからさらに統治しやすくなる」
さまざまな事象について、何でも数値化して処理することに躍起になっているが、それよりも、数値化がむずかしいもの、数値化にはふさわしくないものをベクトル化するアイデアがいい。ひとの感情を無理に数値化することには抵抗がある。例えば、意欲について、どういう事柄・方向にどれだけ強いかをベクトルでみる方法はどうか。自然界の例では、海の中でてんでに動くマイワシの大群でも、常に右往左往しながらも結果的にどこかに向かっている、刻々と変化する生きた大きなベクトルといえる。社会の中で、大衆がどこに向かっているかを集団の大きさと合わせてベクトルでみる手法があってもよい。それがあると、人が見てすぐわかる、わかりやすい、世の中のトレンドを、民意を簡便に把握しやすくなる。ああ言いたくないが、僕のベクトルは小さく下に向いている。
ここで、学校でのいじめの実例を話す。
「中一のときのクラスに、男子からガイコツと呼ばれていた女子がいた。それを聞いて、その子の顔を見ると、やっぱりガイコツ然に見える。そう言われて本人は苦笑いというか、周りに合わせて、顔は少し笑ってはいるが、心では悲しい、やるせない、どうしてわたしだけ悪く言われるのだろう、やめてほしいという思いだっただろう」
「かわいそう」
「男子が一応におもしろがっていた。僕は一度もその女子に対して悪く言った事はない。僕は当時転校生だったので事情がよくわからなかったが、小学生のときのあだ名だったんだろう、クラスの中で完全に定着していた」
「あだ名も小学校から一緒についてきたのかしら」
「(うまいことを言う)そうらしい。でも、そういう女性こそ大人になって人並みにちゃんと結婚しているもんだよ」
「それはどうして」
「いじめに耐えてきているし、もともと純な子だし、男を選ばないから。サラリーマンの奥さんというより、見るところ、苦しみ煩いからにじみ出た、へんにお愛想的な愛嬌があるし、商売人のお店なんかに向いていると思う」
「じゃあよかった」
「顔のつくりは本人の責任ではないし、めげずに明るく生きていってほしい」
「うん。それで、ママのことだけど、あれでも昔は痩せていたって聞いた」
「そう、医学部受験のストレスで食べ過ぎたみたいだよ」
「わたしも将来医学部を受けるけど」
「大丈夫、パパが教えるから」
「教育大学を出ているって」
「そうだよ。で、ママのことはどう思う」
「いつも忙しくしているけど、気をつかってうまくパパとやっている」
「じゃあ将来結婚するとして、どういうひとと結婚したい」
「パパみたいなひとだと楽でいいな」
む、発想は母娘同じか。
「それに真希おばさまが、弟がしっかり資産運用してくれているから、こうして楽ができるのよって」
言われると照れる。姉の家に行ってだいぶ洗脳されているな。
「あなたのパパは旅館の支配人になれたかも知れないとも言ってた」
「昔の話だよ」
(姉の頭の中ではまだ美帆さんにこだわっているのか)
まさか、連れ込み旅館って何、と娘から聞かれると困る。
「わたしは女の子でよかった。ママは女医にしたいから女の子だけど、パパはなぜ女の子がよかったの」
ロリコンの対象になっている子に面と向かって本心を言いづらい。ましてわが娘だ。
「源氏物語の紫の上を気に入っていたから、是非幼いときから自分で育ててみたいと」
「げんじ、聞いた事ある」
小学生で源氏はまだ読めないだろう。ませていても、時期尚早だ。
「まあとにかく、真理子ちゃんはママとパパが待ち望んだ女の子なんだ」
「うん、うれしい」
おお、とても愛らしい。だれからも好かれて、満開の桜花の下でご満悦である。
(完結しました)