‥‥22‥‥

 

 

 

 宴会の翌日、ゆきは店の掃除をしていた。商品が陳列されていると十分に出来ないため、年末分もまとめての大掃除だ。まずは、天井の煤払いから。脚立に乗って埃を取り除くと、次は拭く作業に取り掛かった。ゆきの身体に汗が滲む。

 開けていた入り口のガラス扉がノックされた。翔だった。「ゆきちゃん、おはよう、昨日はお疲れ様」

 ゆきは、頭にタオルを巻き、マスクをした姿で、掃除中の手を止めて翔を見た。「あら、翔ちゃん、おはよう。昨日はお疲れ様」レインが翔を見て、嬉しそうに尻尾をピンピン振り吠えた。翔はレインに「おはよう、レイン」と挨拶すると、ひとしきり頭を撫でた。ゆきは、額の汗を拭きながら脚立を降りようとした。

 「そのままでいいよ。掃除?」

 「そっ、仕事探し始めると、なかなか出来なくなるから、今日頑張ろうと思って」ゆきは脚立の上からガッツポーズをした。

 「そっか、じゃ僕も手伝うよ。家から脚立持ってくるから待ってて」翔は、ゆきの返事を聞かずにサッと出て行くと、程無く脚立を担いで現れた。

 「いいよ、翔ちゃん、ほんとに大丈夫よ。いいったら」翔を止めるが「大丈夫だって」と翔は聞き入れない。

 「何か用事があったんじゃないの?駅に行くところだったんじゃないの?」と更に断っても、翔は、「たまたま通っただけだよ。別に駅に行く予定じゃなかった。今日はフリーだから大丈夫」とひょうきんだ。

 ゆきは、笑って吐息をついた。「じゃお言葉に甘えて、よろしくお願いします」翔にお辞儀をすると、翔は背中を仰け反らして「はい」と胸を叩いた。レインがクルクル回った。レインは喜びを表す時、クルクル回る。その姿に2人はクスクス笑った。

 

 美代子が顔を出した。「おはよう、あら、2人で頑張るの?お昼差し入れするから頑張ってね」美代子は昨晩、ビールや日本酒を散々飲んでいたのに元気だ。彼女に2日酔いはないのか。ゆきと翔は、不思議な感心で美代子の後ろ姿を見送った。

 

 2人は、脚立に乗り天井拭きを始めた。翔は入り口から、ゆきは奥から、脚立を移動させて徐々に天井の中央に近づいてきた。

 「なんか良かったね、みんな、丸く収まった感じで」拭きながらゆきが昨夜のことを話した。

 「そうだね」

 「浩美ちゃん、私と同い年なのに、5人のお母さんになるの凄いなって思った」言い終わった後、ハッとして「ううん、羨ましいとか、そういう意味じゃなくて、ほんとに偉いなって思っただけ」ゆきはタオルで顔を拭いて、翔の顔を伺った。

 「ゆきちゃん、大丈夫だよ。何とも思ってないよ。だって僕だって今だ独身だから何も言えない」

 「だって翔ちゃんは、好きな人がいるじゃない。私なんかそういう人もいないのよ」

 「大丈夫だよ、ゆきちゃん、今に現れるよ」

 「そうかなあ」

 「そうだよ。さっ、ゆきちゃん、手を動かして」翔はにっこり笑った。

 

 ゆきは翔に笑い返したが、その笑いは、どことなく影を帯びていた。ゆきは、軽く気持ちが沈んだ。翔には好きな人がいる。そのうち、その人に告白したら、結婚するかもしれない。だって、忘れられないその人のために、翔は帰ってきたのだから。翔が幸せになるんだから喜ばなきゃいけないのに、心から喜べない。翔は帰ってきてから、事あるごとに私の手伝いを買って出てくれた。翔が結婚したらもうこういうこともなくなる、私だけ本当に1人になる。ゆきは、そんなふうに考える自分に忸怩たる思いを抱くと同時に、弟のような存在の翔がいなくなってしまう寂しさを覚えていた。

 

 中央にきた。翔が、「よし、競争だ。どっちが最後拭くか」「ええー、しんどいー」ゆきが情けなく声を上げる、翔は勢いを増す、怯んだゆきも負けじとスピードを上げた。「最後、フイニッシュ」翔が高らかに両手を上げてガッツポーズをした。ゆきは半ば呆れ顔で、豪快にアハハハと笑った。店内にゆきの朗らかな笑い声が響き渡った。翔が満面の笑顔で、ゆきを見る。いつの間にか眠っていたレインが、顏を上げて2人を見た。入り口から、一頻りの風が入り、汗ばんだ2人の身体を通り抜け、心地良く爽快な気分だ。

 「それじゃ、次は壁をやろう」翔は素早く脚立を降りると、ゆきが降りるのを見守った。

 

 美代子が再び顔を出して、「お昼どうする?何時頃食べる?」ゆきは翔を見た。「壁が終わってからにしないかい?」翔の返事で、美代子は、「じゃ12時半頃ね。頑張ってね」2人に手を振ってカラカラと笑って去って行った。

 2人は壁拭きを始めた。壁拭きが終わったのは12時半を過ぎた頃だ。丁度、美代子がお昼をのせたお盆を持って入ってきた。

 

 床にビニールシートを敷いて3人で座った。美代子が自家製の即席の味噌汁にお湯を注いだ。中身はとろろ昆布とわかめとねぎ。お新香が入ったタッパの蓋を取った。胡瓜、人参、大根、山芋、牛蒡、自家製のぬか床で漬けた漬け物だ。竹製の盆ざるの蓋を取った。黄色と緑の華やかな市松柄の蜜蝋ラップ、その中に丸い形の美味しそうなお握りがいくつも入っていた。香ばしい海苔の匂いが食欲をそそる。美代子は「こっちが鮭、こっちが梅、こっちが塩昆布、こっちがおかかと紫蘇巻き」得意気に話した。美代子は料理が得意だ。洋風の料理はしないが、和食料理はお手の物だ。

 「ピクニックみたい」ゆきが言うと、美代子が「ほんと、ゆきちゃんの店でピクニック」翔は、美代子から受け取った味噌汁のお椀を持って「カンパーイ」と叫んだ。3人は声を立てて笑った。

 ゆきと翔は、美味しいを連発しながら、顔をほころばせてパクついた。身体を動かした後の食事は格別に美味しく、昨夜の話題で終始笑いが絶えなかった。

 お昼が済むと、美代子は「じゃ頑張ってね」と再びカラカラと笑って去って行った。

 

 ゆきは翔を気遣って「翔ちゃんはもう終わっていいよ。後もう少しだもの」と言うが、翔は聞き入れない。ゆきは内心安堵した。翔との時間が楽しくて終わりたくなかった。そう抱いた感情に躊躇いを感じたが、「じゃお願いします」と言うと、翔は拳をゆきに突き出した。ゆきはそれに応じ「よし」とお互いの拳を合わせて、掃除を再開した。

 

 ウインドウのガラス面を表と内側から拭き終わると、最後の床掃除に掛かった。2人は終盤に向かって気持ちが楽になってきた。

 「ゆきちゃん、ここは結構広いね。何でも出来そうだよ」物が取り払われた空間は広く感じた。中央にあった平台は業者が引き取った。店の中にあるのは、レジスターを置いていたカウンターと丸テーブルと椅子が2脚だ。

 「そうね。物があった時は感じなかったけど、こうしてみると結構広いわね」ゆきは、改めて店内を見回した。

 「うん、何でも出来そうだ」翔は真剣な表情だ。

 「物の置き方を工夫すれば広く使えそう」ゆきのレイアウト魂がムクムクと顔を出した。

 「壁側だけに配置すると、中央の空間が広く取れる」翔は両手で表現した。

 「何か出来るかしら」

 「出来るさ」翔は笑顔で「よし、ゆきちゃん、もうひと踏ん張りだ。頑張ろう」と奮起した。

 「はい」ゆきは元気に返事をした。

 

 全ての掃除が終わったのは、夕方5時少し前だった。2人は両手を上げて歓声を上げた、その両手でハイタッチをした。

 解放感と充足感で、2人は爽やかだ。ゆきは翔に礼を言うと、夕食をご馳走すると提案した。が、翔は辞退する。コーヒーだけでもとゆきが強く言うと、お茶がいいというので鉄瓶で湯を沸かして日本茶を淹れた。両親の代からの鉄瓶だ。翔が椅子に腰を下ろすと、2人でテーブルを囲んで座った。

 

 「終わったね」翔はゆきが用意したおしぼりで手を拭くと、お盆に乗った茶托に片手を添えた。静かに湯呑みを持ち上げると上品にお茶をスッと啜った。「美味しい」翔の顔がホッと緩んだ。

 翔の笑顔は他の人にはない安心感を、ゆきに与える。幼い頃は、ゆきを頼っていた翔は、立派な男性になっている。ゆきは翔が頼もしかった。そして、翔の優しさが嬉しくて代え難いほど大切に感じていた。そう考える自分に、再び狼狽えた。

 気持ちを振り払うように、わざと沁沁と言った。「ほんと、翔ちゃんのお陰」胸を撫で下ろす素振りをした。気になっていた肩の荷を下ろした心情で「これで、すっかり終わった」と呟いた。

 

 「僕はたまたま通りがかっただけだよ」翔は思案顔でゆきを見た。「ゆきちゃん、ここ使う予定がないなら、僕に貸してくれないか?」

 ゆきは驚いた。「何をするの?」翔の顔を覗いた。

 「盆栽屋を開くのさ。実家には僕の作業場がないから、今、細々と裏庭でやってるんだ、だから」ゆきはクスっと笑った   

 「翔ちゃん、早く出てけって言われてるもんね」「そういうこと」翔が頭を掻いた。

 「そうね、どうしようかな。翔ちゃんなら安心だけど」

 ここをどうするか、まったく考えていなかった。これから先、自分はどうなるのか、先行きがはっきりしていない。

 ゆきの気持ちを察して、翔はすぐに安心させるように言った。「返事は今でなくても大丈夫だよ。それほど急いでないし、十分考えても大丈夫だよ、ゆきちゃん」

 翔の心遣いが嬉しかった。立派に自分の道を歩んでいることを羨ましくも思った。ゆきは煩悶を抱えた感情を隠した。

 

 「ここで作業したら、ゆきちゃんの応援もあるかなって期待した」

 「えっ、私の応援なんて大したことないよ」

 「ゆきちゃんは、応援力No1だよ」きっぱりと言った。

 また応援力No1と言われた。自分ではそんな自覚も大層なことをしているつもりもないのに。私の応援で、誰かが力を発揮したり元気になるようには思えないけど。

 

 「ゆきちゃん、覚えてる?」

 「えっ」

 「僕が東京の大学を受験するために東京に行く前日のこと」

 ゆきは記憶を辿った。

 「ゆきちゃん、わざわざ来てくれたんだよ」

 「そうっだった?」

 「そうだよ」翔は淡々と話す。「その日は雪が降っていた。ゆきちゃんはモコモコのダウンにマフラーをして毛糸の帽子を被っていた」

 「やだ、何それ」ゆきは恥ずかしそうに視線を落とした。

 「ゆきちゃんは手袋を外して、翔ちゃん、握手って言ったんだ」

 思い出した。すっかり記憶の外にあった。成長するにつれ翔とは少しずつ疎遠になり、お互い違う高校に進学すると、まったく話をすることはなくなった。会釈だけの関係になっていた。だけど、翔の大学受験は、応援したい気持ちが勝って、思い切って翔を訪ねたのだ。

 「僕が困惑していると、私のエネルギーを伝えるから、受験頑張ってね、と右手を差し出したんだ」

 私のエネルギーなんて、なんの役にも立たないのに。ゆきは恥ずかしくて顔が上げれなかった。

 翔は構わず続けた。「だけど、僕はなかなか手を出せなかった。僕がいつまでも愚図愚図していると、ゆきちゃんは僕の手を取って握りしめた。そして両手を添えてファイトって言ったんだ」

 顔から火が出るかと思った。恥ずかしくてこの場から消えてしまいたいと思った。それを隠すように「えー、そうだった、やだ、恥ずかしい」とごまかした。

 「そんなことないよ、僕は嬉しかった。だって、小さい時はゆきちゃんの後ろにピッタリくっついてたじゃない」

 「それは、小さい頃の話で、翔ちゃんはもう立派になってたよ」

 「そうかな、僕は変わってなかったよ。とにかく、お陰で受験は成功した。緊張もしたけど、ゆきちゃんを思い出して気持ちを落ち着かせたんだ」

 翔がひと息ついた。間があった。ゆきは訝しげに翔を見た。翔の眼差しは、真っすぐにゆきに注がれていた。ドキリとした。

 

 「ゆきちゃん、君は、応援力No1だよ」

 

 その時、ゆきの鼓動が、トクン、と鳴った。翔に「君」と呼ばれたのは初めてだ。どうしようもなく訳の分からない感情に襲われた。全身の血液が、顏に集中した。慌てて俯いた。

 

 雨の音が聞こえた。小雨がぱらついてきた。翔が、「降ってきた、予報通りだね」と、換気のために少しだけ開けていた入り口のドアを、立ち上がって閉めた。途端に、外の音が遮られ室内は静けさに包まれた。ゆきは、薄暗くなった室内を、照明を点けるか迷った。明るくなって顔を見られるのが恥ずかしかった。カウンターのテーブルランプを点けた。ほのかな灯りが室内を照らし、ガラスウィンドウの翔が浮かんだ。背中を、そっと見た。

 

 翔は高校の頃、グンと背が伸びた。中学から始めたバスケは、高校でレギュラーになり主力選手になった。女子にもてると聞いた。翔の家の前で、翔の帰りを待っている片思い女子たちが、友達同士で盛り上がっていたのを見たことがある。

 翔は私の側をとっくに離れて大きく羽ばたいていた。

 レインが起き上がって翔の側に寄った。翔はレインを抱いて外を眺めた。

 

 理由もなくゆきは焦れた。気持ちを逸らさなきゃ。トンと椅子に座ると翔の背中に向かって、大袈裟に明るく話しかけた。「レインを拾った日も雨が降っていて、ほんと大変だったのよ。レインも私もずぶ濡れで」顔が引き攣った。悟られないよう、アハハと小さく笑った。

 翔は「そう」とだけ答えた。レインは翔に甘えるように、翔に抱かれてピッタリとくっついている。ゆきはその様子を上目遣いに見ていた。鼓動の波は、静かに、けれど確実に押し寄せる。静まろうと意識しても、どうにもならない。ゆきの全身は、翔で埋め尽くされ、台風のような渦が、ゆきを苦しめる。自分を叱咤した。バカ、ゆき、相手は翔ちゃんだよ。幼馴染の翔ちゃんだよ。翔には、好きな人がいるんだよ。その人のために、翔は帰ってきたんだよ。分かってるの、ゆき。

 捉えようのない悲しみに、耐え切れず、涙が滲みそうになるのを、ゆきは必死で抑えた。急に、翔が振り返り、視線がかち合った。ゆきの心臓が跳ね上がった。翔は近づいて再び椅子に座った。

 ゆきの身体は硬直した。対座する翔に顏を上げれず、膝の上の固く結ばれた両手を痛いほど凝視した。

 

 「ゆきちゃん、僕は盆栽屋だ」涙を堪えるゆきは返事が出来ない。口を開くと、きっと涙声になる。小さく頷いた。

 ゆきは目を伏せたまま握りしめる両手の、汗を感じた。こんなに近くにいるのに翔が遠い。

 

 不意に、雨音がはっきりと耳に飛び込んできた。小雨は強い雨に変わっていた。

 周囲はどっぷりと雨に覆われた。ゆきの耳にザーザーと激しい雨の音が響いた。室内は僅かな灯りで不安定に揺れている。

 

 翔が何か言った。雨に消されて聞き取れない。何かを発したことだけは分かった。一瞬だけ、伏せていた目を翔に向けた。翔は細めた目で優しくゆきを見ていた。翔の包み込むような温かい眼差し、ゆきの心が滲む、鼓動が更に激しくなる。反射で、唇を「えっ」と動かした。翔はもう一度言った。

 

 「僕は、君に会うために帰ってきたんだよ」

 

 翔が言っている意味が分からなかった。

 姉の言葉が蘇った。「そこにある間は価値を見出せないけど、失う時、失った時に、大切さを実感する。そうでしょ」

 私は、翔を失うことに恐れを感じているの。翔がいることは、当たり前で自然なことだった。いつも助けてくれて気にかけてくれて、私にとって有難い存在だった。だから、翔が離れることを考えるとどうしていいか分からない。でもそれは、可愛がっていた弟が旅立つようなもの。考えを振り払った。違う、そうじゃない。私は翔が好きなんだ。

 

 電話が鳴った。翔が「ゆきちゃん、電話」と言った。ゆきはハッとして「あっ」と言ったが、電話に出る気持ちがしなかった。「ゆきちゃん、出ても大丈夫だよ」翔に促されて、ゆきは店の奥に移動し電話を取った。母からだった。電話の向こうの母の声は相変わらず甲高く元気だった。

 「ああ、ゆきちゃん、さっき圭子にも電話したけど、そっちに遊びに行くから。採れたての野菜をうんと持って行くから楽しみにしていてね」

 「お母さん」

 「元気よ」聞いていないのに母は言った。「ゆきちゃん、お店終わったでしょ。今までご苦労様」

 ゆきは翔を見ていた。翔はレインを抱いたまま入り口に移動し、外の景色を眺めていた。母に返事をしなかった。

 母が声高に叫んだ。「ちょっと、ゆきちゃん、聞いてるの、ゆきちゃん」

 「お母さん」

 「どうしたのよ」

 「翔ちゃんって、覚えてる?」ゆきは囁くように話した。

 「翔ちゃん?あんたの後ろにひっついてた、あの翔ちゃん?金物屋の次男坊?」

 「そう、その翔ちゃん」

 

 ゆきは翔を見ていた。走馬灯のように、子供の頃の思い出が脳裏に浮かんだ。翔は身体が小さかった。翔の母親が「翔は低出生体重児だったから身体が小さいのよね。大きくなるかしら」と母に話していたことがある。翔は同学年の子に比べると痩せて身長が低く、運動会ではいつも前に並んでいた。ゆきは、そんな翔が可愛いくて、精一杯の声援を送った。翔がかけっこで転んだ時、ゆきは堪らずコースの中に入って翔の手を引いて一緒に走った。恥ずかしさは微塵もなかった。翔は我慢強く唇を噛んで泣かなかった。ただ、ゆきの手をぎゅうと掴んで走った。傷口から流れる血が、白い靴下を染めるのを気にもせず、まるでゆきの行動に応えるように懸命に走った。会場から拍手が起きた。翔がゴールした時、ゆきは翔の頭を撫でた。可愛い弟を愛おしむように。翔は悔しそうな表情を緩め、ゆきを見て笑った。

 

 ゆきにとって、翔は可愛い弟だった。それが今、見上げる存在となった翔の一挙一動に、そこから動かすことができない程、ゆきの目は翔に張り付いている。

 

 ゆきは、電話を手元から離した。カウンターに置いた。翔に歩み寄った。翔は、ゆきが近づくのに気づいて振り返った。レインを降ろした。レインはゆきを見上げた。

 

 「翔ちゃんは、、」声が掠れた。

 「ん」

 「翔ちゃんは、盆栽屋、なんだよね」

 突飛な質問に翔の目が丸くなった。はにかむように口元を緩めた。「そうだよ」

 「盆栽屋さんって、職人になるの?」言いたい言葉と違う言葉が出てくる。

 翔は頭を掻くと、「そうだね、職人だね」ゆきを見て屈託なく笑った。

 

 電話から母の声が聞こえてくる。「ゆきちゃん、ゆきちゃん、どうしたのよ、ゆきちゃーん」

 

 翔の笑顔が眩しく、ゆきの目に涙が滲んできて、どんどん溜まった。溢れる感情が噴き出した。翔が好き。しゃくりあげながら、途切れ途切れに言った。「翔ちゃ、ん、両、親に、会って、くれる?」

 翔はゆきをジッと見つめた。見つめた目で「もちろん」と、嬉しそうに笑った。

 ゆきは顔を覆った。ゆきの中で、何かが溶けた。ゆきの頬を細い筋が何本も伝う。肩が震え、嗚咽が漏れた。

 

 翔がゆきに近づいて両手をゆきの肩に回した。優しくゆきを抱き寄せた。

 「大好きだよ、ゆきちゃん」

 ゆきは、翔の胸に顔を埋めて、堰を切ったように泣きだした。

 

 

 電話の向こうで母の声がした。「ゆきちゃーん」

 

 

 

‥‥23‥‥

 

 

 

 いまのゆきは、とても穏やかだ。柔らかで平穏な日々を送っている。

 以前がそうでなかったというのとは、ちょっと違う。

 ほろ苦い思い出も泣いた日々も、過ぎてしまえば、全て思い出となって、より幸せな感情に浸っていると言えばいいのだろうか。

 

 今、ゆきのお腹は大きい。40歳で妊娠して41歳で出産となる。翔との再会から早い展開だ。ゆき自身も付いていけていない。驚いてばかりだ。

 時々、これは夢なのかと頬をつねってみる。生ぬるい痛みだ。やっぱりこれは夢なのか、ゆきが作り上げた空想の世界なのか、よく分からない。

 夢か空想か現実か分からないけれど、まあいいか、となる。今日も笑う箇所があったからいいのだ。

 

 縁は奇なもの味なものと言うが、あれほど渇望していた縁は、求めれば求めるほどやって来なかった。渇望を手放したら、いや、手放そうとしたら、そよそよと向こうから近づいてきた。しかも、意外な人物が。これに乗らない手はない。なるようになる。何とかなる。まあいいのだ。

 

 実は、美代子は、翔の気持ちに気がついていたようだ。だから宴会の席で、わざとゆきにマッチングアプリを勧めたんだと。きっと翔が焦って阻止すると考えたようだ。案の定、次の日来たわね、と翔を揶揄っていた。美代子は、本当に奥が深い人間だ。食べることが好きな人間というだけではない。それは、美代子の一部としてあるだけだ。その美代子は、与次郎と旅に出ている。1ヶ月掛けて北海道を1周するそうだ。好きなことやったれ、の心境らしい。

 

 姉も、夫との時間を大切にし始めた。どうしたって夫婦だから仕方ないわね、ってさ。

 

 ゆきと翔は相変わらず、お互いをちゃん付で呼び合っている。まだ新婚夫婦、今仲良くなければ身も蓋もないと言える。

 2人は覚悟を決めている。この人とずっと笑いあっていこう。どんな時も、いくつになっても、2人で助け合って生きていこう、お互い心に誓ったのだ。

 

 道が一本道でなくても、回り道でも、脇道でも、泥道でも、菜の花の群生の道もある。私はわたしでいい。

 人生は、淀みなく流れる川のようでありたい。流れに任せて、地に立って歩いて行こう。

 ゆきと翔は人生羇旅の、未だ途上、これからも仲良く道中を歩いて行くと信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‥‥最後に‥‥

 

 

 1作目の「ぼくのみち」を投稿した後、よくこんなのを投稿して恥ずかしい、という気持ちで一杯になり、しばらくは何も書く気になれず、数か月が過ぎました。それでも、何となくアイデアが浮かんだのと、やっぱり書きたいという気持ちが

ムクムクと生まれてきて、2作目を書き出しました。そして、2作目を書いている途中、作家として本格的にやっていきたいと考えるようになりました。

 今は何となく、その道に向けて頑張っています。

 

 私は、文庫本が好きなので、目指すは文庫本の出版ですが、電子書籍も視野に入れています。

 

 そして、文庫本にするには、圧倒的に文字数が足りないので、エピソードを加える必要があります。一人ひとりの人物像を強化して、背景を考えて、深みと厚みを持たせていきたいと考えています。

 

 ぼくのみちで言えば、信と隼人との出会い、親しくなるまでのエピソード、信の父親と再婚相手の明美の馴れ初めから結婚に至るまで、途中には母親の死があります。それぞれをもっと深堀したいと思っています。

 隼人の生い立ち、養父母との出会い、関係性の構築、隼人の心情、バックパッカーでの経験など。

 ミナもいます。いじめられていたミナの過去、不死鳥のごとく逞しく立ち上がったミナの力強さ。男を手玉に取るような女性になったけれど、心の底では一人の男性を愛する純粋な部分があること。

 綾子さんが独身でいたのは何故か、お局綾子と施設長の2人の居酒屋での会話など。

他の登場人物もいます。社長やシゲさん、カビスターズの面々、忘れてはならない最も重要人物、幸子。

 

 そして、私的にはとっても気になる、ちょっとファザコン気味の武尾と頭はよいがおとぼけキャラの明雄brother's&与次郎の男3人のエピソード、もっと増やしたいと悶々としています。

 

 これからする作業は、まずは登場人物を全て書き出して、イメージを膨らませることです。

髪型、顏の形、パーツ、身長、体重、ファッション。どんな性格か、どんな話しかたでどんな声か、どんな家か、どんな街か。

 キャラクタ―達の相関図も必要です。私は、そういうのを吹っ飛ばして書き始めるので、これからはより丁寧に取り組みたいと考えています。

もっといろいろあると思いますが気が遠くなるような作業です。

 理想は、キャラクターが、私の脳内で勝手に動き回って会話をして人生を生きてくれれば、私はそれをただ文字にする作業になるといいなと思います。そのためには、書く前の作業が大切かもしれません。

 

 それらを進めていくと本になった、というのがいいです。そして、みんなのその後のお話にも繋げていきたいと思います。信と幸子のその後、みんなのその後です。

 

 目標は、「ぼくのみち」「いまのゆきは」「作家、始めます」の三部作が入った文庫本です。

私の希望は、書店の平台に名だたる作家さんたちの本があります。その中に、中央から少し外れた場所に私の文庫本があります。宣伝パネルはこんな感じです。

 写真一杯に黄色いミカン、その中にたった1個だけ真っ赤なリンゴがあります。

 コピーは「このリンゴ、めちゃくちゃ美味しい」です。

 そのこころは、1冊だけ無名の作家の本が混じっているけど面白い、です。

 

 私が書くものはエンタメで、文芸とは程遠いですが、無謀にもそのうち、いや、次の世で、いやいや、その次でも。

 文芸作品を書けるようにと狙っています。文芸と言うものが何たるか、というのが分からないのに、です。

 

 とにかく、やっぱりコツコツ積み重ねていこうと思っています。いや、すっ飛ばしてそこに到達できるなら、それでも、、、いや、いや、やっぱり、コツコツ?

 

 ということで、これでブログを閉めることになりました。今まで読んで下さった方もいらっしゃると思います。、本当に心から感謝いたします。

 いつか、何らかの形で、私の本を見かけた時は、どうぞ手に取って読んで頂ければ嬉しいです。

 登場人物のその後に、どうぞ触れてみてください。

 ありがとうございました。

 

‥‥加えて‥‥ 

 

 実名を出したりしてましたが、それはよろしくないということなので、これからは実名は伏せて書きます。

 もしかしたら、読んでてお気を悪くされた方もいらっしゃったら、大変申し訳ありませんでした。

 

 それでは、ありがとうございます。