カビスターズで働きだしてから5年が経ち、信は30歳になっていた。

その日、社長とシゲさんに誘われて3人で居酒屋にいた、乾杯のビールの後、社長とシゲさんは、日本酒をちびりちびり飲んでいる。

「信がうちに来て、5年経つな」

「はい」

「ほんと、いい人が入ってくれて、俺ら幸せだな」

「まったくだ、信が来てくれて、うちは目覚ましく業績がアップした。今じゃ12人の社員を抱える社長になった」

「まさかこんなに人が増えるとはねえ。俺ら2人で始めて、今じゃ12人、ほんとに信のお陰だ」

「そんな、ありがとうございます」

 

 

いつになくしんみりと飲んでいる2人を見て、不思議に思っていると、突然社長が言った。

「信、お前は独立しろ」

「え?」

予想外の言葉に、驚いて社長を見つめ、どうにか言った。

「独立、ですか?」

「そうだ、お前なら大丈夫だ。来年をメドに独立だ」

シゲさんは黙って頷いている。

「まあ、昔で言う、のれん分けのような感じになるかもしれん。私も初めての事だから、これからいろいろ考えなきゃいけない。まずは、一番はお前を思ってすることだ。それは、分かってくれ」

「はい、もちろんです。」

黙って頷いていたシゲさんが話した。

「社長と前から話してたんだよ。俺たち2人で始めた会社がこんなに大きくなって、一番の功労者は、信、お前だよ」

「そうだ、だから、お前に恩返しをしたいんだ」

「恩返しだなんて、そんな」

「ハハハハ、恩返しって言葉は、変か。まあ、なんにしても、お前が、会社を設立して独立することは、今の私らの夢でもある。突然で驚いただろうが、お前ならできるさ」

「そうだ、お前ならできる。お前がいなくなるのは寂しいけど、俺たちは、お前の門出を全力で応援したい」

「、、、」

「いや、今すぐじゃないぞ。目標は来年、一年後をメドにだ。今いなくなっても、こっちが大変だ、な、シゲさん」

「ああ、大変だ。目標は来年。まだ、期間は十分ある。ゆっくり考えればいいさ」

「けど、独立って、、、」

 

 

2人は、神妙な表情の、信の気持ちを和らげるように、慌てて言った。

「すまん、すまん、驚かせてしまったな。時期が早かったか」

「はあ、突然でびっくりして」

社長とシゲさんは顔を見合わせた。

「信、私には子供がいないからな。跡をどうしようか悩んだんだ」

「はい」

「シゲさんは、男の子が3人だ」

「そ、男3人」眉間にしわを寄せて、シゲさんは言った。

「シゲさんの子も考えたんだが、長男は大学の先生で研究者だしな、次男はバックパッカーとやらをやってて、将来は海外暮らしだと、3番目は大学生、この子は卒業したら、漫才師を目指すらしい」社長が笑った。

「漫才師ですか?」信が笑って言った。

「そ、漫才師、大学卒業して漫才師、もっ、自由過ぎてお手上げ」シゲさんが肩をすくめた。

「シゲさんの息子さんらしいですね」

「俺の息子らしいって、どういう意味だよ。俺は銀行マンだったんだぞ」

 

 

社長と信が笑った。

「漫才のような男だけど、俺はお堅い職業だったの」

社長と信は、また笑った。

シゲさんが続けた。

「でもな、息子の人生だからな。親がどう思ったって、息子には息子の生き方つうもんがあるからな。どんな結果になったって、そこから学ぶことはあるだろうから、反対しねえことにしたんだよ」

「そうだな、人生に無駄なことはないもんな」

「そっ、人生に無駄なことはなし」

「シゲさんの息子だ、きっと大丈夫だよ」

「ああ、そうだな」

 

 

社長が、話を戻した。

「まあ、まだまだ現役で頑張るつもりだから、跡継ぎの事はまだ先だけど、考えておかなきゃいけないからな。もちろん、信も視野に入れた。だけど、お前には、独立の形がいいような気がしてな。そしたら、甥っ子が、大学を卒業したら、おじさんの会社に就職したいと言ってきて、私の姉の子だ。2年後になるな、入るのは」

「そうですか、楽しみです」

「お前のTikTokを見て、興味を持ったらしい」

「そうなんですか?嬉しいです」

「お前は、周囲に良い影響を与える、立派な人間だ。独立をして社長になるんだ。お前ならできる」

「そうだ、お前ならできる」

 

 

帰り道、社長とシゲさんの言葉が、何度も頭をよぎる「お前ならできる」寿の森を辞めるときも綾子に言われた「お前なら大丈夫だ」施設長にも「君ならどこにいっても大丈夫だ」幸子も「信ちゃん、あなたなら大丈夫よ」後輩の山田も「先輩なら大丈夫っす」

信は、自分を応援してくれた、たくさんの人達を思いだしながら、独立の2文字を繰り返し考えて、思索した。

 

 

 

 

週末、実家に戻り、信は両親に独立の話をすると、父は「いいじゃねえか、やってみろよ、大丈夫だ」明美も頷いた、異母兄弟が騒いだ。

「なに、なに、にいちゃん、社長になるの?ひゃーカッコいい。もうかったら、ステーキ特盛ご馳走してちょー」

「私は、服がいい。めっちゃかわいいの」

「俺はー」

「こらこら、まだ来年の話だぞ。ったく、何言ってんだよ」父が制した。

「いいよ、父さん、もちろんだよ、何でもOKだよ」

「やったー」

久しぶりの縦川家の団欒に、父は上機嫌でお酒を飲んでいた。

父が寝た後、帰り支度をしていると「泊っていけばいいのに」明美の言葉に、「いえ、ちょっとやることがあるので、また来ます」明美と異母兄弟に見送られ、信は帰路についた。

駅までの道、街灯の明かりの中を歩きながら・・・そろそろ幸子さんの命日だ・・・心中で、幸子に語りかけた・・・幸子さん、そちらで、ご主人さんと元気に過ごしていますか?僕は元気です。あの頃より成長した僕を、幸子さん、見てくれていますか・・・幸子の笑顔を久しぶりに思い出して、信は少し涙ぐんだ。

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

 

 

「そうか」隼人が言った。

「ああ」

「お前が社長とは、ほんと、分からないもんだな」

「ほんとだ」

「とにかく、頑張れ。お前なら大丈夫だ、俺は全力で応援する」

「ありがとな、隼人」

「ああ」

「ところで、来月から、俺は旅に出る」

「旅?どこに行くんだ?」

「世界だ。とりあえず、最初の地はオーストラリアだ」

「世界?世界一周でもするのか?」

「世界一周になるか分からんが、足の向くまま気の向くままのバックパッカーの旅を、そうだな、1年くらいするつもりだ」

「バックパッカー?シゲさんの2番目の息子さんもバックパッカーしてるらしいぞ」

「どこかで会うかもな」

「すごいな、隼人、お前は、英語、話せるからな、資金は大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。モデルの仕事で貯めたお金がある」

「そうか、寂しくなるな、1年後は帰ってきてくれよ」

「ああ、もちろんだよ」

 

 

「ところで」

「うん」

「お前に言ってなかったことがある」

「言ってなかったこと?」

「ああ、実はな」

「うん」

「俺は、あの家の子じゃない」

「え?」

「俺は、養護施設で育ったんだ。5歳の時、あの家に引き取られた」

「、、、」

「両親は、10代で結婚したけど、俺が生まれてすぐに離婚した。両親の親も貧困でな、誰も俺を育てることができなかったから、俺は施設に預けられた。今は2人とも別々の家庭を持っている。高校の時、母親に会いに行ったことがあるんだ。でも、母親は、俺を家に入れずに、玄関先で、少し話をしただけだ。というか、話すこともなかった、なんにもないんだ、会話が。俺を見ても嬉しそうじゃないし、迷惑なんだなって分かったから、すぐに帰ってきた。父親にも会いに行ったけど、声をかけずに、通り過ぎただけだ。当然のように、俺の事なんか分かりもしない」

「、、、」

「俺は親に捨てられたんだ。実はな、転校した時は、どん底だったんだよ。この家にもらわれて5年、何不自由もない生活でさ、養父母は優しかったけど、本当の家族ではないという気持ちが強くて、俺は淋しかった。信、お前もだろ、お前も淋しかっただろ。俺がお前に近づいたのは、お前が淋しそうにしていたから。表面上は、笑顔を取り作っても、内面の淋しさが俺には伝わってきた。やっぱり、淋しい者同士っていうのは、波長が合うんだな。お前なら、俺の気持ちを分かってくれるんじゃないかと思ったんだ。人とうまくやることにも、人を楽しませることにも、人に愛されることに力を注ぐことにも、少し疲れていたから」

「隼人」

「でもな、人生に無駄なことは一つもない。俺は、今は、親に捨てられたとは思っていない。俺の親は可愛い我が子を旅立たせたんだと、いいように考えている。ただ、何て言うんだろうな、実の親ってのは、やっぱり特別な存在に思えた。母親を目の前にしたとき、この人が俺を産んでくれたんだ、この人が俺の本当の母親なんだって思ったら、涙が出そうになってどうしようもなかった。嬉しそうにしていない目の前の母親を見てもだ」

「隼人」

「父親は犬の散歩をしていた、小学生くらいの男の子と一緒に。もしかして、俺も、父親と一緒に犬を連れて散歩できたはずなのに、何故そこにいるのは俺じゃないんだ、どうして俺は違うんだって、横を通り過ぎながら、「あなたの息子です」って叫びたくなった」

「隼人」

「だけど、たとえこれが運命で、変えることができなかったとしても、この運命は不幸な運命ではない。俺には必要なことだったんだ」

「隼人」

「育ててくれた両親は、寝る前に俺に本の読み聞かせを、毎日かかさずしてくれた、俺に読める本を与えてくれた、本を読んでいると、両親が嬉しそうにするもんだから、俺は本を没頭して読み漁った、おかげで俺は見聞を広めて、超がつくほどのコミュ力を身につけたってわけ、ハハハハ。実の両親にも感謝してるさ、旅立たせてくれたお陰で、ど根性精神に育ったからな、ハハハハ」

「隼人」

「俺はいずれ父親の会社を継ぐつもりだ。親は、あなたの好きなように生きなさいと言ってくれるけど、俺は、俺を大切に育ててくれた父親の会社を継ぎたいんだ。大切な人が育てた会社を、俺が継いで育てていきたい。もちろん、履歴書を書いて、面接を受けるぞ。社長の息子だからって、甘えないからな。と言っても、周りは、社長の息子と見るだろうけど、仕事できっちり成果を出すさ」

「そうだよ、隼人。お前なら大丈夫だよ、お前なら」信は、涙声だ。

「俺の告白、驚いたか?泣くなよ、信」

「隼人は強いな、僕は叶わないよ」

「ありがとよ、俺もお前には叶わないよ。お前は、何をしなくても周囲に愛される。お前の最大のいいところだ」

「そうか?」

「そうだよ、もっと自信を持て」

「ありがとう、隼人」

「ああ」

 

 

一週間後、隼人は旅立って行った。

空港で、隼人の姿が見えなくなるまで、信は手を振っていた。

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

 

 

信は、独立を意識しながら、カビスターズの仕事に邁進し、社長とシゲさんと、何度も話し合いを重ねて独立の仕方を進めていった。

会社員から社長へ、初めての経験に、分からない事ばかり、経営の知識を深めるため本を読み、勉強会に参加と、今まで以上に精力的に取り組んで、心地良い疲労と達成感で、満ち足りた日々を味わっていた。

父の助言も積極的に受け入れると、個人事業主となった当時の父の体験談は、信にとって道案内のような手引書のようで、改めて父の凄さに気付き、信と父は二人三脚で協力し合い、目標に向かっていた。

信の独立への歩みは勢いをつけていた。

 

 

セミが鳴いている、その日の午後、信自身が営業に赴いて契約受注した、カビスターズ創業以来の大仕事となる重要な会議の予定が組まれていた。

おそらくこの仕事が、カビスターズでの最後の仕事となる、信は責任者に任命され、数週間前から資料作成に取り掛かかっている、午後の会議までの少しの間さえも、作成した資料に何度も目を通していた。

 

 

12時20分、信は、1階にあるインドカレー専門店『喫茶ヒンディー』で、1人、資料を片手に、ヒンディー特性のバターチキンカレーを食べていた。

喫茶ヒンディーの名物はカレーだ、カレー好きのオーナーが、インドを渡り歩きカレーを食べまくって、スパイスの調合、作り方を、目と舌だけで学んで作り上げたヒンディーのカレーはスパイスの深い香りと濃厚な味わいで、信は週に一度は必ず食べている。

ランチタイム時には近くの会社員で溢れ、更に雑誌に掲載されてからは来訪者が増えるという繁盛ぶり、食べログ好きの後輩の山田も彼女と食べに来た、山田はヒンディー特性バターチキンカレー、彼女は辛みのあるココナッツチキンカレー、山田は彼女の辛いココナッツチキンカレーを食べて「ひー辛い、でも美味いと言いながら、水をがぶがぶ飲んでいた。

オーナー夫婦は、60代のまったくの日本人だが、2人ともインドの伝統的な衣装をまとっている。

信は、最初見た時、インド人だと思ったくらいだが、どうにも日本語が上手過ぎるのと、どう見ても日本人にしか見れない顔立ちに、シゲさんに「オーナー夫婦は何人ですか?」と聞いたことがある。

シゲさんは、笑いながら「頭から足の爪先まで日本人だよ。確か東北出身だと聞いたぞ」と答えた。

東北出身の60代のオーナー夫婦が、インドの伝統衣装、男性はドーティ、女性はサリーなるもので、店名はヒンディー、インドの公用語ヒンディー語から付けられたらしい。

 

 

「みんな、まだ休憩中で悪いが、紹介したい人がいるので聞いてくれ」応接室にいた社長が事務室に入ってきた。

それぞれデスクで休憩をしていたスタッフは、顔を上げ社長を見た。

「みんな、揃っているか?信がいないな」

「信さんは、ヒンディーにいます。ぎりぎりまで資料に目を通すらしいですよ」

「信さん、ほんと頑張ってるよな」

「これが最後の仕事だもんな」

 

 

カレーを食べていると、ミナからメールが届いた、ミナと最後に会ってから8ヶ月が経つ。

信君、こんにちは。元気にしてますか?私は、めちゃめちゃ元気です(*^-^*)実は、実家に戻りました、転がりこんだと言えばいいかしら(^^♪もちろん、娘も旦那も一緒。実家は田舎で家は古くて、両親と弟家族が住んでるんだけど、広さだけはあるから、空いている部屋を使わせてもらってる。私は車で15分くらいの地元のスーパーで働いてるの、地元だから同級生と会ったりして、何だか罰が悪いけど、まあいいかって感じ。旦那は、両親と弟夫婦と一緒に農業やってる。うちは、田んぼも畑もあって出荷もしてるの、なのでそれを手伝っている。旦那、体力ないからできるか心配だったけど、頑張ってるよ。

 

 

「信さんがいなくなるの、ほんと寂しいな」

「あー、俺も、信さんみたいに、いつか独立できるかなあ」若い社員が言った。

「できるとも、みんなできるんだよ、頑張ればできるさ」社長が言った。

「よっしゃー」

「おいおい、調子に乗るなよ」シゲさんが言った。

「シゲさんに言われたらおしまいだな」社長が言うと、みんなドッと笑った。

 

 

毎日生き生きと頑張ってるよ。信君、私ね、田舎暮らしが嫌いだった、両親のことも米や野菜を作るだけで、何が面白いの?って思ってた、だけど、ある時ね、実家の周りの景色が、ぱあっと目の前に浮かんだの、両親の働いている姿、無性に帰りたくなって、旦那に帰りたいって話したら、いいよって一言。ほら、うちの旦那、優しいから、なんにも反対しないから、悪いところでもあるし、めちゃくちゃいいところでもある(^_-)それで、両親と弟夫婦に相談して、こっちに帰ることになったの。でね、旦那、農業スタイルとか、デザインしだして、弟の嫁さんに作ってあげたら、めっちゃ喜んでた。弟の嫁さん、ほんと可愛いんだ。まだ、25歳なのに、農業やってるって、すごくない?信君、実はね、私、

 

 

「それじゃ、信にはまた後で話すとして、最初に言ったように今日は紹介したい人がいるんだ。えー、従業員も増えて、会社も忙しいし、うちの家内だけでは、事務的な事が回らなくなったから、一人事務員を雇うことにした。大学卒業したばかりの若い子だ。みんな、優しくしてくれな」

予想外の話に、みんなシンとした、沈黙を破って、シゲさんが叫んだ。

「なんだってー!俺は何も聞いてないぞ」

「若い子?」

みんな、ざわついて、目を見合わせて嬉しそうな表情をした。

シゲさんが「男じゃねえよな」叫んだ。

 

 

小5から中2までいじめられてたの、私、めっちゃ太ってたの、男子に「デブデブ」って言われて、私が歩いてると「デブのお通りだ」とか「デブ菌が移る」とか、ひどいことばかり言って、最初は女子がかばってくれたんだけど、段々と女子も、私のことバカにするようになって、遊びにも誰も私のことを誘ってくれなくて、みんな私のことを無視しだして。暴力とかはなかったけど、ただ無視されるの、誰も相手にしてくれないの、毎日毎日一人。話し相手がいなくて、ずっと一人だった、すごく寂しかった。寂しくて寂しくて辛かった、誰にも言えずに、それが4年続いたの。弟は、なんとなく気づいて、親に話した方がいいよと言ってくれたけど、私が絶対言わないでと頼んだの。だって心配かけたくないし、恥ずかしいもん。

 

 

「すまん、すまん、ほら、シゲさん、熱出して、一週間休んだろ。その間に決まったんだ」

「それならそうと、言ってくれよー」

「ハハハハ、若い子が入るとなると、シゲさん、また熱出すんじゃないかと思って。あえて、黙ってたんだ」

「何を—」

社長とシゲさんの会話に、みんな一斉にドッと笑った。

社長が笑いながら「さて、これくらいにして、そろそろ紹介するぞ」

一人がテレビを消した。

 

 

でも辛かった、ここからいなくなりたいって何度も思った。だけど、ある時ね、鏡に写った自分を見て、こんな子、誰だって話しかけたくない、誰も友達になんてなりたくない、って、自分を見て思ったの。そこからよ、自分改革を始めたの、ちょー頑張ったのよ。親に頼んでコンタクトにして、アイプチで二重にして、雑誌を見て研究して顔やフェイスラインをマッサージして、眉毛も整えて、体重を落とすために1時間のランニング、10分湯船に浸かって冷水を浴びて、また湯船に浸かる、それを3セット繰り返して、一日も休まずやったの。そのかいあって、少しずつ私の見た目は変わっていったのよ。これ、私の小6の写真↓

小6のミナは太っていて田舎くさく野暮ったく、さすがの信も、これには驚いた。

そして、これ、あか抜けた私↓

 

 

社長は、応接室から女性を招き入れて「さっ、入って」と言った。

ボブヘアの可愛らしい若い女性が、一同を目の前にして緊張したのか、顏を赤らめてはにかみながら入ってきた。

「大丈夫だよ、さっ、もっとこっちに」社長が促し、女性は、社長の横に立った。

「さっきも話したように、大学を出たばかりの若い女性だ。みんな、優しく教えてくれ。今度から、この人が、事務全般の仕事を引き受けてくれる。うちの家内は、コーラスをしたいから、仕事は控えるそうだ」社長が、笑いながら言った。

みんなも、また笑った。

「さあ、自己紹介を頼む」

「はい」

 

 

見事に変身したミナがいた。

くっきりした二重瞼、メガネではなく、代わりにカラコンになっている。

髪はツヤツヤふわふわ、フェイスラインもちゃんとある、唇もぷっくらしてツヤツヤだ。

ね、頑張ったでしょ?見た目が変わったことで、周りの私を見る目も、少しずつ変わってきて、話しかけられるようになって友達が戻ってきたの。いじめがなくなったことで、ほんと、世界が変わった。それからよ、もっと、見た目磨きに精を出して、もっともっと綺麗になりたいって、その後も頑張り続けたってわけ。私の黒歴史、驚いた?だけど、あのいじめがなかったら、今でもあのままだったかもしれない。そう考えたら、いろんなこと、無駄ではなかったんだなって思える。ただ、これからは、見た目磨きだけじゃなく、内面磨きも頑張りたい、娘と旦那のためにも、いい母親でいい妻でありたい。信くん、

 

 

女性は、姿勢をまっすぐにして、両手を揃えて、柔らかな声で、けれど、はっきりと話した。

「みなさま、初めまして。横川幸子です。これから、みなさまの教えをいただきながら、一生懸命に頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします」

横川幸子は深々と頭を下げた後、顏を上げると恥ずかしそうにしていたが、みんなを見て笑顔で会釈した。

 

 

田んぼに植えた苗が実って、秋になると黄金色に輝くの、子供の時、普通に見ていた景色を、また見れることに感謝している。空も空気もきれい、いろんな生き物に出会える、本当に生きていることに感謝できる気になるよ。こんな気持ちになったの初めて。信君、私たちは、まだ若い。これから、もっともっといろんなことがある、楽しいことも辛いことも。でも、それ、全部、乗りこえられるし、自分が選択したことを、とことん楽しみたい。そして、どこにいても、どうあっても、今の気持ちを、有難いなって気持ちを持てるようになりたい。正直、先の事は分からない、都会を懐かしく思うこともあるかもしれない、だけど、先の事は考えずに、今ここで楽しみながら娘と旦那と頑張っていきたい。

 

 

シンとした間の後、静寂を破って、シゲさんが大拍手、大声で叫んだ。

「さちこ?」

シゲさんの驚いたような声に、みんなも驚いてシゲさんを見た。

「俺、光本幸子さんの大ファンだったんだよ」

「誰すか、それ?」一番若いスタッフが言った。

「知らねーのか」

「いや、知らないっす」

「寅さんの初代マドンナだよ、俺、ガキの頃に親父に連れられて映画を観たんだよ。子供心にあまりのきれいさに好きになっちまって、俺の初恋はスクリーンの中の光本幸子さんだ」シゲさんが興奮して吠える。

 

 

うちの野菜、めっちゃ美味しいから、信君、遊びに来た時は、うんとご馳走するわよ。さて、そんな感じで、私、白澤ミナは元気です。いつか、信君に、また会える日を楽しみにしています。それでは、お元気で(*^-^*)

ー追伸ー

そろそろ彼女できた?ヽ(^o^)丿

 

 

食後のコーヒーを飲みながら、信は急いでミナに返信をした。

ミナさん、連絡ありがとう。ミナさんが元気で過ごしていることに、前を向いて歩いていることに、僕は嬉しい、僕も頑張るよ。ミナさん、僕は、幸せは環境で決まると思っていた。僕は、小学校の時に、母と祖母の2人を亡くして、すごく寂しかった。ひとりぼっちの悲しみを抱えて、父に無言の反発をすることで、憂さ晴らしをしていたように思う。本当に子供だったよ。ミナさんの言うように、僕もどうあっても、有難いなって気持ちを持てるようになりたい。これからもいろんなことがあると思うけど、それ全部乗り越えられるね(笑)ありがとうミナさん、元気で、また会える日を楽しみにしているよ!

 

 

「光本幸子さんの純粋無垢な冬子が、もう上品できれいでさ、こんな美しい人がこの世にいるのかって思ったよ」

「実は私も観に行ったんだ、シゲさんに連れられて、な、シゲさん」

「社長も?」

「そう、こいつとも観に行った」

「その頃、シゲさんは、すでにみっちゃんと付き合ってて、そういや、みっちゃん似てるなって思った」

「みっちゃん?」

「俺の女房だよ、昔は似てたんだよな」

「今はどうなんすか」

「今?今は菅井きんだ」

「って、誰すか、それ」

「お前、菅井きん、知らねーのかよ。お前、何人だ」

「日本人っすよ」

みんな、大爆笑した、横川幸子も楽しそうに笑っている。

 

 

会計をしていると、隼人からメールが届いた。

よう、信、元気か?

今、イギリスのブリストルというところに来ている。港町だ。イギリス人が住んでみたい憧れの町らしい。ストリートアートあり、歴史的な佇まいもあり、家がカラフルで面白い。しばらくここでのんびりするかなと思っている。その後は、また足の向くままだ。お前はどうだ?独立の準備は順調か?頑張れよ!じゃな、また連絡する✌

信は、隼人のメールを読みながら、エレベーターへと向かう。

歩きながら、急いで隼人に返信する、仕事は順調、独立に向けて頑張っている、旅を楽しんでくれ、再開を楽しみにしてる、また連絡してくれ、など、素早く打った。

 

 

エレベーターの中で綾子からメールが届いた、今日はよく届く日だと思いながら、綾子のメールを見ると、いきなり、祝!未来の社長殿!パンパカパーン👏とあった。

信は、相変わらずだなと苦笑しつつ、エレベーターから降りて、立ち止まって綾子のメールを読んだ。

 

 

「さちこちゃん、漢字はどう書くの?」

「はい、横川は、横に川で横川です、幸子は、幸せな子で幸子です」

「幸せな子で幸子?漢字も同じじゃねえか、嬉しいねー、いやー、嬉しいよ。俺の、初恋の人が現れた」

「おいおい、シゲさん、ったく」

「社長、危険です」

「幸子ちゃん、仲良くやろうね」シゲさんは気にせず突っ走る。
横川幸子は、恥ずかしそうにうつむいた。

 

 

信、元気か?お前、社長になるんだって?山田に聞いたぞ。やっぱり、私の視る👀に間違いはなかった。私の視込んだとおりだ。お前ならできるさ、頑張れよ。会社設立日が決まったら教えてくれ。でっかい花を贈るから。ところで、阿加市に、美味しい和食の店があるの知ってるか?ってか、私も行ったことないんだけど、実はテレビで紹介されていたんだ(笑)今度旦那と行くから、おまえもどうだ?また連絡する。あっと、旦那って、もちろん誰か知ってるよな?あの、施設長だよ。結婚って、面倒くさって思ってたけど、

 

 

「ところで幸子ちゃん、どうしてここを選んだの?ここ、おっさんばっかりだよ」

「おっさんばっかりじゃないっすけど」

シゲさんは無視して「嬉しいけどさ、ここでいいの?」シゲさんは大興奮、いつもの2倍の声量だ。

「シゲさん、独壇場だな」

 

 

案外いいもんだぞ。義理の娘たちも、施設長より私のことが好きらしい(笑)「綾子さん、綾子さん」って慕ってくれてる。お前も早く結婚しろ。まさか、まだ、幸子さんのこと忘れてませんとか、言ってくれるなよ。とりあえず、そういうことだ。じゃ、またな。君ならできる!GO!

余計なお世話だって、信は苦笑しつつ、綾子のメールに返信した。

 

 

「社長、マジ危険ですよ、シゲさん、隔離しなきゃ」

「なんだよ、隔離って、俺をばい菌みたいに言うな」

みんな、ドッと笑う。

「社長の奥様と、私の母がコーラス仲間なんです。私、Tik Tokも見てました、それで」横川幸子が言った。

 

 

綾子さん、図星です!実は、まだ、幸子さんの事を忘れられません。僕は、結婚できないかもしれません(´;ω;`)ウッ…

綾子からの返信、ゲエー(;・∀・)

信はニヤニヤしながら、エレベーターを降りて、事務室に向かって歩いた。

 

 

「おおー、あれ見てたの?俺の後ろ姿分かった?カッコ良かったでしょ」

「シゲさん、何言ってんですか?シゲさんの後ろ姿見て、誰もカッコいいと思わないですよ」

「ホントですよ、シゲさん、大丈夫すか」

「何言ってんだ、俺はこれでも、花形キャッチャーで、エースだったんだぞ」

「引くー」

「こらー」

 

 

信は、隼人とミナに、心中で語りかけた、隼人、ミナさん、僕は最近、部屋があまりにも殺風景だから、ホームセンターでプランターと苗を買って、観葉植物を植えたんだ。

プランターを白にするか、黒にするかで、すごく悩んで決めれずにいたら、近くに可愛らしい若い女性がいたんだ、顎のラインまでの丸みのある髪型をしていた。

僕は、思い切ってその人に聞いたんだ「すみません、白か黒、どちらがいいと思いますか?」って、自分でも驚きの行動だった。

だけどその人は、怪しがる素振りも嫌そうな顔もせずに「そうですね、外に置くなら黒がいいように思います。白は汚れが目立ちそうですし、室内なら白が明るくていいと思います」って答えてくれた。

僕は的確なアドバイスに納得をして「そうですね、ありがとうございます」と礼を言った、その後、その人は別のコーナーに行ったんだ。

でもね、せっかくアドバイスしてくれたのに、こっちから聞いておきながら、実は僕はその後も悩んだんだ、黒もカッコいいな、黒にしようかなって、結構悩んだ、でも最終的に、アドバイスを受け入れるのがベストだと思って、その人の言うように白にしたんだ。

 

 

「うちの家内と、幸子ちゃんのお母様が友達でな、その縁で来てもらった、大事な嫁入り前の娘だから、みんな、本当によろしく頼むな」

「社長、じゃあ、やっぱり、シゲさん、隔離しなきゃヤバいっすよ」

「そうだな、ハハハハ」

シゲさんがいきなり立ち上がって、作業着のジャンバーをバサッと羽織り「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」

社長が拍手をした「いよっ、寅さん」

「しゃ、社長まで」

「ヤバい、無法地帯だ」

シゲさん、大暴走「けっこう毛だらけ猫灰だらけ、けつの周りは糞だらけ」 

何故か急にテンションが上がった社長も暴走しだした「ものの始まりが一ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島」

「泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりがこちらのおばちゃん!」シゲさん 

「ヤケのヤンパチ日焼けのナスビ、色は黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときた!」社長 

シゲさんと社長が2人で声を合わせた「四ツ谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン、白く咲いたが百合の花」

アッハハハハ、2人は大爆笑。

「覚えてるもんだな、シゲさん」

「まったくだ、俺ら、高校ん時、真夏の暑いグラウンドを走りながら2人で暗唱したんだよな、ハハハハ」

「シゲさんが、大きな声で、けつの周りは糞だらけとか言ってな、恥ずかしいのなんのって」2人は意気投合で盛り上がっている。

 

 

僕は、その人からアドバイスをもらった、その人は嫌がらずに、見ず知らずの僕の質問に、きちんと答えてくれた。

だから、僕は、その人のアドバイス通りにしようと思ったんだ、そして、それで大正解だったよ、家に帰って観葉植物を見ると、その時のことが思い出されて、数倍の喜びになっているんだ。

それでね、会計の時、その人がいたから「さっきはありがとうございます、白にしました」と言ったら、その人、可愛らしい素敵な笑顔で「良かったですね」と言ってくれた。

僕より年下なんだろうけど、とてもしっかりした感じの女性だったよ。

僕にもこんな行動ができるんだね、ナンパと間違われなくて良かった、その人がいい人で良かった。

 

 

「さあさあさあさあ、幸子ちゃん、外野はほっといて、幸子ちゃん、今度ご飯食べに行こう、幸子ちゃんは、何が好きなの?」シゲさんが止まらない。

「社長、戻ってきてください」みんなは懇願した。

「ハハハハ、悪い、悪い、悪乗りした、シゲさん、今度歓迎会をするから、それで勘弁してくれ、幸子ちゃん、大丈夫だよ」

「はい」

「おおー、歓迎会」

「とにかく、困ったことがあったら、すぐに相談をして解決できるようにしような」

「はい」

「みんなもよろしくな」

全員、一斉に「はい」と答えた、シゲさんが、再び、大拍手をした。

「横川幸子ちゃん、バンザーイバンザーイ」

 

 

事務室の前で、信は足を止めた、シゲさんの「幸子ちゃん」という大きな声が聞こえた「さちこ」信はつぶやいた。

「幸せな子って書いて、幸子。平凡な名前だけど、父が付けてくれた名前なの。幸せな人生を歩むように、と願いを込めて付けてくれたのよ。私は、自分の名前が、とても好きなの。だからね、信ちゃん、私の事、幸子さんって呼んでくれない?」

「あっ、はい、い、いいんですか?」

「いいのよ、若い男性から、名前で呼ばれるのは、気分がいいもの。じゃ、これからは、幸子さん、ね」

 

 

トクン、トクン、トクン、信の心臓の鼓動が、波打ち始めた。

「さちこ」信は、もう一度つぶやいた。

刹那、いつか見た白黒の幸子の写真を思い出した。

写真の中の幸子は、前髪をピンでとめて、肩までの髪を下ろして、襟がついたワンピースを着ていた。

門柱の前に立ち、屈託のない笑顔で、カメラに向かって、弾けるように笑っていた。

18の頃の写真だと、幸子から聞いた。

「家族旅行で出かける時の写真よ、みんなで富士山のふもとに行ったのよ」

 


信は持っていた書類を落としそうになった、脳裏に幸子が浮かんだ、声が聞こえた「信ちゃん」

ゴクっと喉が鳴り、緊張してこわばった身体を、精一杯、前に向かって一歩、事務室に入っていく。

胸の高鳴りを抑えることができない、幸子を見ることができない。

 

 

シゲさんの、大きな声が響いた。

「って、待てよ、なんだあ、横に川と書いて、横川だって?おいおい、ここには、縦に川と書いて、縦川ってのがいるぞ。こいつはおもしれえや、ハハハハハ」

「ええー、って、シゲさん、今頃気づいたんですか?俺、とっくに気がついてましたよ。こいつはおもしれえや、ハッハハハハハ」30代の社員が、シゲさんの物まねをして言った

入り口に立った信を見て、横川幸子が「あっ」という表情をした、他の社員も、信に気付いた。

「あっ、信さん」

「おおっ、話してたら、我らが縦川信の登場だ、拍手ー」

みんなもつられて一斉に拍手をした、事務所内はみんなの大爆笑で溢れている、頂上を過ぎた太陽は窓越しから明るく笑っている、クマゼミのシャンシャンシャンという鳴き声が聞こえる、信の鼓動は、トクン、トクン、トクン、音を立てる、横川幸子は、信を見て微笑んだ。

信は、ゆっくりと、幸子の方に、顔を向けていった。