【2022年10月12日(水曜日)】※六泊七日、中山道六十九次めぐりの旅!4日目
さて、右に回って直ぐたから、【諏訪神社】(血洗島)へ、向かうとするか!
【諏訪神社】(血洗島)
【諏訪神社】へ、到着!(犬山出発から538.2km4日目16.2km)※11:10〜11:23滞在時間13分間





















【渋沢栄一翁】か寄贈した、額縁!









前回も、【血洗島】には、夕方に早朝、今回も夕方に朝と、1日2回も来てるねっ!
 


 


前回の、詳しい説明&模様は、↑↑↑↑こちらから。

【日本赤煉瓦製造】や【備前梁鉄橋】に行っては、それこそ【中山道六十九次宿場町めぐり】が、NHK大河ドラマ【青天を衝けめぐり】になるから、行きたい気持ちは、十分にあるけど、ヤメにした!

【諏訪神社】を後にして、尾高惇忠の生家・案内役の男性のお薦めの、群馬県伊勢崎市の【田島弥平旧宅】へ、向かう!
右の山は、【日光方面】かな?。まだ【磐梯山】は、見えないよなっ!w
【血洗橋】だから、まだこの場所は、埼玉県深谷市血洗島かな?
【伊勢崎】の、標識だ!(県道355号・中瀬普済寺線)
【田島弥平旧宅】へ行くのに、【田島商店】を左折するらしい!
堤防が見えて来たから、【利根川】だなっ!(県道258号・中瀬牧西線)
【田島弥平旧宅】(群馬県伊勢崎市境島村2243)へ、到着!(犬山出発から542.8km4日目20.8km)※11:35〜11:45滞在時間10分間
男性が門から出て来て、入ってもイイから!と
【御主人様】かな?

田島弥平旧宅は、田島弥平(文政5年(1822年)生、明治31年(1898年)没)による、近代養蚕法「清涼育(せいりょういく)」の開発と、ヤグラ(越屋根、天窓ともいう)付き総二階建ての近代養蚕農家建築の原点となった建物です。伊勢崎市境島村地区は、江戸時代中期から蚕種(さんしゅ=カイコの卵)製造の盛んな地域で、田島弥平家も有力な蚕種製造農家でした。 蚕の飼育は難しく、年によって収量の差が大きかったため、弥平は各地の養蚕方法を研究し、蚕の飼育には自然の通風が重要であると考え「清涼育」を大成し、安定した繭の生産に成功しました。 

名称

 田島弥平旧宅(たじまやへいきゅうたく)

指定年月日

 平成24年9月19日

指定区分

 国指定史跡

所在地

 伊勢崎市境島村甲2243番地 外

清涼育を大成


現在は、【七代目当主】らしい!



【母屋】は、当主が住んでいるから、見れないらしい!
こちらの2階建ては、1階に案内役の女性が、いる!





男性が、色々と説明してくれた!

田島弥平肖像画の写真

田島弥平肖像画

 幕末の横浜開港後、島村の蚕種製造農家は、当時微粒子病で養蚕に壊滅的な被害が出ていたヨーロッパ向けの蚕種輸出に積極的に取り組みました。

 微粒子病が克服され、横浜からの蚕種輸出が振るわなくなると、島村では明治12年(1879年)から明治15年(1882年)の間、蚕種をイタリアへ輸送し現地で直接販売する直輸出を行いました。弥平はこの第1回の渡航メンバーの一人です。

 最後の直輸出を担当した田島啓太郎がイタリアから顕微鏡を伝えると、弥平は顕微鏡を用いて蚕の病気の検査・研究を行いました。後に、住居兼蚕室の2階北隅には顕微鏡室が増築されています。
 明治初期、生糸増産のために先進地の視察を行う際には、器械製糸は富岡製糸場に、養蚕技術は田島弥平に学ぶのがモデルコースでした。また、富岡製糸場の外国種などの試験飼育の要請に応え、繭品種の改良や統一運動に協力しました。

田島弥平旧宅を国史跡に指定

 境島村の「田島弥平旧宅」は、平成24年9月19日の官報告示により、国史跡に指定されました。

 旧宅には、文久3年(1863年)建築の主屋が現存するとともに、当時の蚕室建物跡、桑場、蚕種保管の種蔵などの遺構が残ります。田島弥平の業績は高く評価することができ、近代養蚕業の発展を知る上で重要な場として国史跡に指定されました。

田島弥平旧宅が世界遺産に登録

 富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴の4つの資産で構成する「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、平成26年6月25日、世界遺産に登録されました。

【仮設トイレ】でも、あるのが嬉しい!
【田島弥平旧宅】を、あとにする!
道路側から見た、【田島弥平旧宅】(群馬県伊勢崎市と埼玉県深谷市・本庄市の境)
【石碑】があるから、入り口を間違えたなっ!
【島村渡船】

島村渡船(しまむらとせん)は利根川によって分断されている群馬県伊勢崎市境島村内を結んでいた渡船である。伊勢崎市の市道の一部として(18年度以降は春から秋のみ)無料で運航されていた。しかし、2019年の令和元年東日本台風で船着き場等の設備が被害を受けて休航となり、そのまま20224月に廃止された。

島村渡船(左岸)


中山道六十九次宿場町めぐりは、中山道10番目の宿場町【本庄宿】編へと、続く!



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