春山満のメッセージ 『将来の夢は何?って聞かれてもわかりません・』後編 | 車椅子親父と息子の『生き抜く哲学』

春山満のメッセージ 『将来の夢は何?って聞かれてもわかりません・』後編

将来の夢は何?って聞かれてもわかりません。前編

将来の夢は何?って聞かれてもわかりません。後編

やがて家業が倒産し、親の借金を背負いながらがむしゃらに生きた。
そして難病がスタート、そこから見つけた今の医療介護ビジネス。
振り返れば自分の役割と将来の夢を見つけるまで、随分右へ左へ寄り道をしてきた。
ただ、この寄り道は、僕の人生にとって大切なものだったと今は言い切れる。

長男の哲朗が小学生の頃、
「お父さん、“将来の夢”って作文が宿題やけど、何を書いていいのかわからへん」
と困ったような顔で僕に聞く。
「そやなあ、わからへんものはわからへん、と書いたら」
と笑って答えてやった。
僕は自分の少年時代の苦しみを思い出し、
子どもにはあの苦しみは絶対に味あわせたくないと思った。
女房は「もう少しちゃんとアドバイスしてやったら」と僕を批判するが、
内心ひやひやしながら、“立ち木で見守る”親に徹してきた。

前回このコーナーで紹介したように、哲朗は自分の意思でハワイの大学へ留学した。
その哲朗が6月に一時帰国したときだ。
「ただいまー」と言って帰ってくるなり、
テラスデッキにいた僕のそばにどっかと腰を下ろし、
「あ~ぁ」と大きな溜息をついたあと
「お父さん、こんなに勉強するの、生まれて初めてや」
と言って、ハワイの生活を語り出した。
今まで見たこともない精悍で晴れやかな顔!
夢のかけらを掴みかけたのかもしれない。



どーも!
親父のメッセージは久しぶりに書く気がします。

あっ、今回も僕が登場している・・・・

今回のコラムでは僕が小学校だった時にくれた見事なアドバイス・・・・
僕からしたら「何やこの親父!?」っと思った事でしょう。

小学校の頃はサッカーに夢中だったのでサッカー選手になりたいと思っていましたね!笑
高校生までは必至でサッカーをやりましたが、
高3の時に漠然とビジネスに興味をもち始めました。

興味をもったといっても早くいっちょ前になって金を稼ぎたいと思ったくらいです。
ただ、この頃から何か商品を開発できないかと友達と夜通し考えていました。

そんなこんなで高校生活が終了し、
ハワイへ留学し、2年後にラスベガスのUNLVへ編入しました。

高校生の時は親父の仕事に全く興味がなかったのが本音です。
なぜ、なかったかというと、
介護とか医療とか何か暗そうなイメージがある仕事ではなく、
もっと斬新かつ面白そうなビジネスをやりたいと思っていました。

ただ、僕がUNLVへ編入し、
ある時、親父のビジネスに興味をもち始める事になったのです。
親父からビジネスという根本を学びたいと思ったのと同時に、
親父を絶対に超えてやる!!!と強く心に思った記憶があります。

そう思い始めたら即行動というのが僕の性格。
親父にアメリカから電話し、
「夏休みの期間だけ何でもいいから会社でバイトさせてくれ」
と頼み込み
1ヶ月間みっちりバイトをさせて頂きました。

バイト最終日が近づくにつれて心に決めていた事がありました!
僕は大学を卒業する為だけに行くのは意味がない!っと心からずっと思っていましたので、
大学を中退してでも親父の会社へ入り徹底的にビジネスを学びたいと思っていました。
そして、それから3ヵ月後に入社しました。

僕の夢は親父を超える事です。
漠然とした夢ですが、僕なりに努力していきたいと思っています。

夢とは探しても見つかるものではありません。
ただ、夢がない方は模索し続けてほしいと思っています。
やり続ける事で何か発見があるのではないでしょうか?

100年に一度の経済危機と言われています。
僕にはサッパリ意味がわかりません。
多少の我慢はあるかもしれませんが、
好きな物を食べ、好きな洋服を買い、好きな国へ旅行しています。

これから社会人を迎える学生には聞いて頂きたい。
夢や目標は社会がどうなろうとも持てるものです。

不況だから将来が見えないのではなく、
将来の姿にビビッているだけです!

夢を持ち、志を持ち、信じて進んでいけば絶対に道が開けると思います!