難病 | 車椅子親父と息子の『生き抜く哲学』

難病

ハワイ時間の昨日、

僕にとって衝撃的な事を知った。

昨日は春山塾が開催され、

僕の学生の友人が3名参加した。

その中の1名が僕のブログを読み、

是非、親父に会わせてほしいと以前から言われていたので、

夕食に誘った。

その子が昔から腰に持病をがあることは知っていたので、

何かその相談かな!?っと思っていた。

友達伝え言われていたので、

夕食に誘った。

その子が昔から腰に持病をがあることは知っていたので、

何かその相談かな!?っと思っていた。

友達伝えで腰の持病の話を聞いていたので、

改めて聞いてみると

今まではヘルニアと言われていたらしいが、

改めて今年の夏に日本で検査を受けたところ、

難病であるという事が判明した。

彼女は今年で23歳、僕の一つ下になる。

彼女にとっては誰にも理解する事が出来ないぐらいの宣告である。

僕の親父は24歳で宣告されたので、

ほぼ同じ時期である。

僕は親父をかわいそうだとか、同情は一切した事がありません。

勿論、僕が生まれた時から車イスだったので車イス姿に違和感を感じなかったからだと思いますが、

同情する事で障害者であると無意識に意識してしまいます。

たまたま障害を持ってしまった方からすると、

障害者扱いされる事が一番辛いのではないでしょうか。

皆、人間です。

親父は自分の病気を個性、グリコのおまけと表現します。

僕は難病を宣告された彼女を同情する事はしない。

気も使わない。

難病だろうが何だろうが、

笑顔でいれば幸せはつかめます。僕はそう信じている。


最後に親父からの一言。

体の一部が壊れても、
心が「元気」であれば大丈夫。

体の健康って大切だけど、
心の健康は、もっと大切。

でも、「気」って何だろう?
それは、きっと、命のみなもと。

この命を、「和気」藹々(あいあい)とつかむのか、
不安と恐れが、「怒気」にかえるのか。

それは、私の「気持」しだい。


                   春山 満