今日は6月16日。
6月16日は何の日だかご存知でしょうか。
ググったらこんな感じでした。
● アフリカの子供の日
● 和菓子の日
● 麦とろの日
● ケーブルテレビの日
● 無重力の日
● ブルームズ・デー
● 青年の日 [南アフリカ]
僕はこの日を『逆境をチャンスに変える日』と制定しています。
格闘オタクだった僕にとって忘れもしない2001年6月16日、
K-1GP予選トーナメントがメルボルンで開催された。
2001年時のK-1ワールドGPのシステムは、
予選トーナメント優勝者のみが12月決勝トーナメントに進出出来るというものでした。
トーナメントの大本命は『スリータイムズK-1チャンピオン』(当時)ホースト先生。
対抗馬はミルコ“クロコップ”フィリポビッチ。
当時はまだK-1四天王の下にいる存在で、
若くて勢いがあるが、まだK-1王者になるようなトップ中のトップではない存在であった。
正直『Mr.パーフェクト』、ホースト先生がいるトーナメントを制するのは厳しい。。
しかし準優勝すれば10月8日福岡で開催される敗者復活トーナメントには参戦出来る。
そんな感じで見ていたトーナメント1回戦、
魔物が潜んでいました。
1999年GPファイナリストであるミルコが、
早くも2001年王者への道はついえた。
どれほどの絶望感がミルコを襲い苦しめたことだろうか。
この時、日本格闘技界は歴史的転換期を迎えようとしていた。
決して交わることのないと思われた新日本プロレスとK-1が全面戦争をするという。
プロレスと格闘技の違いもわからない人にはわからない話であろう。
これは永遠とファンの夢の中でだけ対決すればいいと思われたものが、
なんと実現してしまうというのだ。
舞台は2001年8.19、K-1JAPANのリングで猪木軍VSK-1軍3対3マッチが行われた。
猪木軍は安田、グッドリッジ、そして大将戦に藤田和之。
それに対するK-1軍はレネローゼ、ノルキア、ミルコである。
う~ん、弱い。。
捨て駒の寄せ集めみたいなものである。
レネローゼ?知らねーぜ!って感じだし、
あんまり勝利に固執してなさそうな便利屋のノルキア、
そしてトップファイターだけどK-1チャンピオンにもなっていないし、
四天王ほどの知名度もないミルコである。
2001年のK-1は何といってもバンナバンナバンナの時代であった。
プロレスファンにとって今でこそ長年の天敵となってしまったミルコであるが、
当時はミルコ?どの子?
そんな程度であった。
対する藤田は現役のIWGP王者。
正真正銘総大将である。
このK-1の面子を見る限り、
当時の立ち技選手のMMAの試合が相当ハードルが高かったのであろう。
そして何と言ってもK-1選手は大事な大事なK-1GP目指して予選トーナメントや決勝トーナメントに向けて頑張っている最中。
そこで白羽の矢が立ったのが、6月に予選トーナメント負けたミルコ・フィリポビッチという訳だ。
格闘技を知っている者ならかなりの確率で藤田の圧勝を予想していた。
その試合がこちらだ。
ミルコの人生を変えた奇跡の試合であった。
これを期にミルコはK-1軍のエースとなり、
格闘技バブルに沸いたPRIDEに本格参戦し、
K-1からの刺客的存在から、いつしかPRIDEの主軸として活躍。
そして最初のMMA挑戦から5年後の2006年、ミルコはPRIDE無差別級GPを制し、悲願のベルトを巻いたのであった。
ついついあの時代の格闘技愛が蘇ってしまい長くなってしまいました。
K-1GP予選で敗退し、腐っていたら後の活躍はなかったであろう。
ミルコは果敢にも挑戦を選んだ。
道なき道を弛まぬ努力を持って突き進んだ。
そして人生を変えた。
逆境をチャンスに変えた偉大な格闘家に敬意を表し、
僕は6月16日を『逆境をチャンスに変える日』と制定した。
何もかも順風満帆な人はいないと思います。
何かしら苦労があるかと思います。
現状を変えるべく何か試みるのは大きなエネルギーを必要とします。
しかし今日という日は、自分にとってネガティブな事でも、発想の転換をし、小さな事でもいいのでトライしてみてはいかがでしょうか。
ここまで書いてだんだんある種の疑惑が浮かんできました。
『逆境をチャンスに変える日』であるならば、
予選敗退した6月16日でなくて、藤田に勝った8月19日じゃね?
...。
コメント
-既に実践された方のご意見、心強いです!ありがとうございます!
1
素晴らしい!
この減量方法が一番、体力落とさず減量できました。
今後の更なるご活躍を期待しています。