「魔」と批判するか「癒し」となるか。 ~目の前の宝物~ | ディバインハートヒーリングTAKAKO(馬渡隆子)

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最近、
「OOというヒーリングは魔が入っている」 
「**というヒーリングは地に落ちた」 
という意見を聞きました。
かなり批判的な意見でした。 
ですが、それらの団体の中で活動している人で、今とてもきらきらと輝き、人としてどんどん成長している方々を、私は知っています。

私は沢山のヒーリングを学んできていますが、どのヒーリング団体からも、多くの恩恵を受け、その都度成長させていただいています。

どこにでも学びはあり、先生はいます。

たとえ、いっとき「ひどい!」と思ったとしても、それを自分の内側の反映だと気づけば、そこでなにかが成長できたとわかります。


批判するのはたやすいです。
「魔」とか「地に落ちた」とか批判すれば、自分は正しくあることができ、内側を観ることをしなくてすみます。

そうすることで、いつまでも「魔」や「地に落ちた」対象を外に創り出し、自分を高みに置き、様々な自分の感情を感じることをしなくてすみます。


感じなくてすむということは、それは、自分の癒しや成長を先延ばしにすることでもあります。


私もかなり以前、そのとき師事していたヒーラーさんに破門を言い渡され、そのヒーラーさんを恨んだことがあります。

「私の体調が悪いのに放り出すなんて、人としてどうか?ましてやヒーラーとして先生としておかしい!」
と、怒りもかなりありました。

でも、そのことに対して内側を観ていけば、起きたことは自分の反映でしたし、私もそのヒーラーさんの立場になれば、当時の私を放り出して当然でした。


それがわかるようになるには、多くの時間とヒーリングが必要かもしれません。

ですが、起きた全てを受け入れられたとき、それは大きな恩恵となり、成長をもたらしてくれたことがわかります。


私は最近、先の批判的意見の背景にあることと同じ内容が、癒されました。

起きた現実は異なりますが、癒されていない過去の傷に気づいたのです。

自然に癒しに導かれたと言えるでしょう。


目の前に現れたことを、「魔」「地に落ちた」と批判することもできますが、「癒し」の貴重なきっかけにすることもできます。

目の前のことを、宝物にできるといいですね^^