本日は「母性愛神話」について、お話しようと思います。
母性愛神話とは…
「母親には母性がある」「育児には母性が必要」
「よって育児の責任者は母親」とされる考え方のことです。
皆さんはこの考え方。「伝統的な考え」だと思っていませんか❓
これ実は戦後、国が「男は仕事。女は家事・育児」が標準的な家族の形と示した事により浸透した、比較的新しい考え方なのです。
「母親でなければならない」根拠として。
戦争で親を亡くし、施設で生活する子ども達の死亡率の高さや発育に問題のある子が多いのは、「マターナル・デプリベーション」(母親による養育の欠如)だと、第二次世界大戦後の戦災孤児達を研究したボウルビィの考え(1951)が輸入されました。
更に出産前後の女性は「オキシトシン」(子宮収縮や母乳排出)と「プロラクチン」(母乳作成と分泌)というホルモンの分泌量が増す為、これが母性の本性だと捉え、「母親には母性がある」の科学的根拠とされた背景もあります。
こうした理論と相まって「母性愛神話は正しい」とされてきたのです。
しかし施設で暮らす子ども達に問題が多く見られるのは、施設の劣悪な環境が原因だと、ラターはボウルビィの理論に異を唱えました。これを受けボウルビィ自身も、必ずしも母親である必要は無く、長期間の継続した養育者の欠如が問題だと訂正しています(1956)。
また科学的根拠とされた2つのホルモン。これらのホルモンは女性だけでなく男性にも存在し、上記の働き以外にも、体内で様々な働きをしています。このたった2つのホルモンで、「母性の正体」を結論付けられる程、人は単純な構造をしていないのです。
つまりボウルビィもホルモンも。「育児は母親でなければならない」根拠には至らないのです。
そりゃー子育てが楽しくて、子どもの「初めて」は全て自分が独占したいと思う母親ならば、それを邁進して欲しいと思います
しかしもし、社会や周囲の圧力を受け、育児に専念しなければ…と窮屈な思いを抱いておられるならば、もう「母性愛神話」に縛られなくても良いんじゃないかな…と思うのです。
大事なのは母親が、そのどちらを選択しても尊重される社会であること。
そんなふうに私は思います