母が認知症と診断され1年が経った頃、父が風邪をこじらせ肺炎で入院。それに伴い、母との同居生活が始まりましたあせる

父が生死をさまよっていた数日間は、兄達も帰省してくれたし、私も気が張ってたんだと思います。何とか乗り切る事が出来ました。
しんどかったのはむしろ、そこから父が退院するまでの3ヶ月間ですあせる

母は私が仕事の日はデイサービスを利用。仕事の無い日は一緒に父の病院へ行くという生活が始まりました。

デイサービスと言っても最初の1ヶ月半は、以前から通っていた施設を利用していたため、我が家からは車で1時間の送迎を余儀なくされましたあせる
母を送り届けてから仕事。仕事終わりも母を迎えに行ってようやく家路に向かうあせるここに朝夕のタロー(実家で飼っていたポメラニアン)の散歩が加わります。当然一人ではこなせない日もありましたショボーンそんな時は夫に助けて貰いながら、どうにかやりくりしていたんだと思います。当時、子ども達はどんな風に過ごしていたのか…。余裕が全く無くて、記憶にありませんえーん

私の負担軽減のため、デイサービスでは入浴もお願いしていましたが、これは母の強い抵抗に遭いました。
迎えに行った際、入浴は無理だったと施設の方より報告を受けると、「私は風呂屋の娘やで(祖父母は過去にお風呂屋さんを経営していた事があります)。家に大きなお風呂がある。わざわざここで入る必要はない」と言います。遠い昔の話をあたかも現在進行形の様に真顔で話す母に、私はかなり動揺しましたあせる
記憶力の低下だけではありません。時間軸もむちゃくちゃですえーん

施設の人には「分かりました。家で入るので大丈夫です照れ」と笑顔で対応しつつ、母にも「そうやね。お家のお風呂に入ろう」と応答しつつ、心の中では「いつの話をしとるんや❓ええ加減入って来いよムキー」と母に怒りさえ感じていました。
母との同居生活が始まった当初の、母の力になりたいと思った純粋な気持ちは、もう消えていましたショボーン

当時母は「要介護1」でしたので、デイサービスを介護保険点数の中(1割負担で千円程度)で利用出来るのは週2.5回程。オーバーした分は、全額負担となりました。ただし費用は全て母の預金でまかなえたため、子どもが金銭的な負担を抱える必要は無く、そこは助かりました。

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