2022年12月8日参拝。
前回からのつづきです
根岸春日神社
JR武蔵野線・東浦和駅より
【国際興業バス】西川口駅東口行「網代橋」下車6分。
または、
JR京浜東北線・蕨駅東口より
【国際興業バス】蕨駅東口行(循環)「鹿島」下車2分。
鳥居と社号碑。
石段。
石段を上りきると境内が広がり、鬱蒼とした木々に包まれた社殿が見えます
川口市安行領根岸、芝川のそばの小高い丘に鎮座しています。
参道右手に手水舎
水は出ません。
参道左手にも手水舎
水盤。
こちらは、自動水栓で水が出ました
寄進者が多いのですね
拝殿の手前で、また少しの石段を上ります。
石段の上に小さめの狛犬
バランス的に顔が大きくて、鼻の穴も大きい。ブサカワです
横から
後ろからも
うちに連れて帰って飾りたくなる可愛さでした
拝殿
第59代・宇多天皇の御代、寛平元年(889年)に、当時13戸だった氏子の熱望により、奈良・春日大社を勧請して奉斎したと伝えられています。
一説には、かつて社家であった中村家の先祖が、寛仁元年(1017年)に奈良・春日大社から勧請し、創建したものであるとも伝えられていますが、中村家は明治初期に絶えてしまっていて、この説についての詳細は分かりません。
※「埼玉の神社」より。
建久5年(1194年)には、源頼朝から永七貫文(金一両=永一貫文)の寄進を受けて石段を建設したとのこと。
当初は修験者が祭祀を行っていましたが、後に、別当・感應院(日蓮宗)の僧が、天照皇大神と八幡大菩薩を勧請して「三社宮」と称しました。
明治の神仏分離で、感應院は廃寺となり、現在の社名「春日神社」となりました。
明治6年には、根岸村の鎮守として村社に列格。
明治43年には「神饌幣帛料供進神社」に指定されています。
大正12年、関東大震災で拝殿が倒壊するなどの被害を被りましたが、文久元年(1861年)建築のご本殿は無事でした。
以来80年間、仮建築の拝殿による祭祀を余儀なくされて来ましたが、平成17年に、拝殿・幣殿・社務所・境内社の新築大造営事業が完成しました
毎年の例大祭には、神社本庁献幣使の参向があります。
※境内掲示より。
神額。
【御祭神】
天兒屋命(あめのこやねのみこと)
比賣神(ひめがみ)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
斎主命(いはひぬしのみこと)
勧請元の春日大社HPでは、御祭神は
武甕槌命・経津主命
天児屋根命・比売神
となっていますが、
「根岸春日神社」では【経津主命】ではなく、別名とされる【斎主命】としています。
斎主命=「祭祀をする者」という意味です。
おそらく香取の神(=経津主命)は、鹿島の神(=武甕槌命)の斎主(祭主)であったのだろう。
そのことから、鹿島・香取と併称されるようになったと考えられる。
※柏書房「日本の神様読み解き事典」より。
境内社は、社殿を囲むように4社あります。
拝殿の右手に
八雲神社
銀杏の落ち葉が絨毯のよう
八雲神社軒下から見た拝殿
社殿の真裏に
古峯神社。
社号碑。
「古峯神社」は、総本社が栃木県鹿沼市にある神社。
【御祭神】日本武尊
社殿の御扉に羽団扇紋が見えます。
羽団扇と言えば、天狗👺です。
「古峯神社」では天狗が神使とされ、「天狗の社」としても知られています。
天狗が飛翔して、崇敬者に降りかかる災厄を払ってくれると考えられています。
神仏習合の時代には日光修験の道場であり、火伏や豊作・村内安全の神として庶民の崇敬を集め、「古峯信仰」の中心となりました。
羽団扇紋。
※画像はネットより。
羽製の団扇は、羽と羽の隙間から風が漏れてしまうため、風を送るためにはあまり効果がありません。
天狗の羽団扇は風を送るためのものではなく、呪具です。
修験道では修行の呪具の1つとして羽団扇を使っていて、翳すだけでも魔除け・厄除けに効能があるとされています。
このため、天狗はしばしば修験者の格好で造形されているのです。
羽団扇の羽は、9枚(奇数)が標準。
道教・陰陽道では、奇数は魔力がある吉数として信仰されています。
※戸矢學著「呪術と日本昔ばなし」より。
ご本殿の覆屋