【茨城県・東茨城郡大洗町】大洗磯前神社 | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2022年9月15日参拝。


前回に引き続き、茨城県の神社ですおねがい



大洗磯前(いそさき)神社神社


この日は海が穏やかで、この、波ザッバーンアセアセの瞬間を撮るために、20枚くらい撮影しましたカメラ泣き笑い

電車JR常磐線・水戸駅からバス
バス【茨城交通バス】路線番号50・那珂湊駅行「大洗神社前」下車すぐ。


大洗海岸通りの「大洗鳥居下」交差点🚥にある、一の鳥居

高さ約16mの巨大な鳥居びっくり
通天閣や東京タワーの設計者である建築家・内藤多仲氏も携わったとのこと。


神磯の鳥居神社アセアセ

御祭神が降臨された岩礁を「神磯」と称し、神聖な場所として禁足地としました。
岩礁上の石鳥居は昭和31年に建立され、大洗町のシンボルとなっていますウインク

古くから景勝地として、また、日の出スポットとしても有名で、かつて徳川光圀はその景観を称えて
「あらいその 岩にくだけて 散る月を 一つになして かへる浪かな」
と詠んでいます。
美しい眺めですが、激しく打ち付ける波しぶきが近づくことを許さない厳しさも感じさせる、気高い聖域です。

毎年元日には、宮司以下神職が海岸に降り、大神の御降臨の地を照らしながら昇る初日の出🌄をお参りする「初日の出奉拝式」を執り行います。


二の鳥居

高さ約13m。こちらも巨大です。
真っ白が印象的な鳥居です。



石段の手前には神橋もありました。


神橋を渡り、右手へ行くと…
清良神社

【御祭神】小幡宥円命(小幡城主)

小幡宥円は小田氏治の家臣で、水戸城主・江戸氏に謀殺されました。
死後江戸氏を祟ったため、「宥円権現」として祀られました。



そのさらに奥には神池アセアセ

かつてこの近辺には、眼病を治す霊水が湧く「目晒しの井」タラーがあったと言われています。



石段


三の鳥居


振り返ると、二の鳥居越しに海が見えます波


右手に手水舎アセアセアセアセ

水盤タラー




随神門の手前に、狛犬犬

珍しい備前焼の狛犬は、明治3年(1870年)に奉納されたもの。



随神門

動物や植物などの細かい彫刻は、1本の木から彫り上げた透かし彫り
大洗町の指定文化財です。




9kmほど離れた「酒列磯前神社」と2社で1つの兄弟神社で、御鎮座の由緒は同一です。

『日本文徳天皇実録』によれば、
文徳天皇の斉衡3年(856年)12月29日、常陸国鹿島郡大洗の地・現在の神磯において製塩を営む者が、夜間突如として海の上空が光り輝いているのを見ましたキラキラ
翌朝、海辺に高さ一尺ほどの2つの怪石があり、さらに翌日には石の周りに20あまりの小石が出現したとのこと。
石は不思議な色をしていて、僧侶の姿に似ていたそうです。
これが御祭神の大己貴命・少彦名命の御降臨とされます。

その時、里人の1人に神憑りをして
「我は大奈母知・少比古奈命なり。昔、この国を造り常世の国に去ったが、人々の難儀を救うために再びこの地に帰って来た。」
と言われたことから、ここに当社が創建されたと伝わっています。


拝殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

正面の赤い柱がアクセントの、入母屋造の拝殿です。
ご本殿とともに県指定有形文化財

ご本殿・拝殿・随神門は水戸藩2代藩主・徳川光圀公の命で造営を始め、3代・綱條公の享保15年(1730年)に完成しました。



【御祭神】
大己貴命(大国主命)
少彦名命


セルフでお祓いが出来るよう、
大麻(おおぬさ)が置かれていました。


拝殿の欄間には、透かし彫りの彫刻が14ありますが、外から見ることが出来るのは10枚のみ。

元々拝殿は長方形をしていましたが、増築が繰り返されて現在の凸型になり、4枚は昇殿参拝しないと見られなくなったそう。
どの欄間にも鳥と植物が彫られていますが、なぜか1枚だけ鳥がいないとのことです。



拝殿前にはなぜか🐸。


ご本殿キラキラキラキラキラキラ

一間社流造です。
瑞垣も美しい照れキラキラキラキラキラキラ


現在では珍しい、美しい茅葺屋根のご本殿ですラブキラキラキラキラキラキラ



ご本殿の東西に、境内の各所に鎮座していた末社を併せ祀った合祀殿があります。

ご本殿のに、
三社併合奉斎殿(西殿)

大杉神社
【御祭神】大物主命 
水神社
【御祭神】罔象女命
八幡宮
【御祭神】
玉依比賣命・大帯姫命・応神天皇



に、三社併合奉斎殿(東殿)

大神宮
【御祭神】天照皇大神
静神社
【御祭神】建葉槌命・手力雄命・高皇産霊尊・思兼神
水天宮
【御祭神】天御中主神・安徳天皇・建礼門院二位尼




ご鎮座の翌年の天安元年(857年)、「酒列磯前神社」ととも官社に列せられ、さらに、両社ともに「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。

『延喜式神名帳』では「名神大社」とされ、明治時代には「国幣中社」の社格を賜りました。
戦後は、神社本庁の発足とともに「別表神社」となっています。


『日本文徳天皇実録』によると、御祭神が降臨された時代は、天然痘などの流行り病が猛威を振って多くの死者が出たり、飢饉が起こるなど大変な時代だったことが記されています。 

薬もなく医者もいない時代に、常世の国(不老不死の国)とも言われた常陸の国に医薬の神が降臨されたのは、もう2度と同じような災難が繰り返されないよう、人々の願いを受けて降臨されたと考えられています。


神馬舎馬


境内の北東の隅に、
御嶽神社

とても雰囲気の良い参道と社殿です照れ


【御祭神】
国常立命・大己貴命・少比古名命



御神水タラー

前述したように、境内から涌く水は眼病👁️に効くと言われ、明治時代まで「目晒しの井」があり、神社前の海岸は江戸時代から潮湯治(病気治療のため海水につかること)で賑わっていたようです。

現在も霊験あらたかな御神水を求めて多くの参拝者が遠方から訪れます。
お水取りは24時間可能ですタラー


東日本大震災では4mの津波が押し寄せましたが、大洗町では津波での死者はいませんでした。
「目晒しの井」があった辺りには今でも少し水が湧いていますが、不思議なことにこの時には大量の水が湧き出しましたアセアセアセアセアセアセ
大洗町は断水していたので、この御神水を求めて多くの町民が神社に訪れ喉を潤したとのことです。


斎館


社務所


随神門前を通って、境内西側へ向かいます。


軍艦那珂忠魂碑

沈没した日本海軍の軽巡洋艦・那珂の戦死者を慰霊する忠魂碑です。

軍艦・那珂(なか)は、神社の北側を流れる那珂川にちなんで命名され、艦内神社※として当社のご分霊がお祀りされていました。
※古くから船には神様を祀る風習があり、軍艦には艦名に縁がある神社の御分霊をお祀りして、艦長はじめ乗組員は事あるごとにお参りしました。

軍艦那珂は20年ほど前線で活躍しましたが、昭和19年にトラック島西方で沈没しました。
沈没後40年にあたる昭和58年に忠魂碑が建立され、現在も毎年2月17日に慰霊祭が行われています。


境内西側の駐車場🅿️近くに鎮座する
烏帽子厳社

【御祭神】烏帽子厳神


「烏帽子岩」と呼ばれる磐座を祀っています。


境内をさらに西へ進むと、
茶釜稲荷神社の一の鳥居

千本鳥居を抜けて…


二の鳥居


茶釜稲荷神社🦊

玉垣内部には「大甕磯神社」「櫛形山神社」と並んで刻まれた石碑

合祀されているということかな??


拝殿

【御祭神】倉稲魂命


「大甕磯神社」は、日立市・大甕神社からの勧請でしょうか?


日立市・大甕神社は、以前からチェックしてあり、春になったら訪れるつもりですおねがい


名称不明の石祠がありましたが、これが「櫛形山神社」の可能性もありますキョロキョロ



ご本殿覆屋


さらに西側にも境内社がありましたが、表参道からご紹介します。



一の鳥居のある、「大洗鳥居下」交差点🚥からすぐのところに、斜めに入る道路があります。

道路の左側に、小さく鳥居が見えると思います。

與利幾神社の一の鳥居

二の鳥居


與利幾(よりき)神社
拝殿キラキラキラキラキラキラ

【御祭神】建御名方命


『磯浜誌』によると、
安永6年(1777年)、大洗海岸の漁師・平大夫が海で霊木(楠木)を見つけ、薪にしようと斧を入れると、怪しい光キラキラを発したので、平大夫は驚いて卒倒してしまいました。
「大洗磯前神社」の巫女が湯を奉りましたが、この時神が巫女に憑いて、
「この木は信濃国諏訪の諏訪明神の霊木である。厚く祀るように。」
と語ったことから、里人は畏れ多く思い、大洗磯前神社境内にこれを祀ったと伝わっています。
平大夫が夢でお告げを聞いたという説もあるようです。

それからの浜は大漁となり、商いをすれば繁盛し、事業をすれば成功したとのことです。

※與利幾神社碑文より


「大洗磯前神社」の御祭神・大己貴命の御子神である諏訪大社・建御名方命の御神木が、父神のところに「寄ってきた」=「寄木」、さらに縁起のいい漢字をあてて「與利幾」になったと伝わります。


ご本殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

独立したご本殿を持ち、他の境内社とは別格の扱いです。



北側にも鳥居がありました。

「與利幾神社」の裏の森の中に
石尊宮

「大山阿夫利神社」の山岳信仰と修験道の信仰が融合した神仏習合の神です。



【御朱印】

クリアホルダーもいただきました照れ




「大洗磯前神社」は何年も前から行きたいと思っていた神社でしたが、なかなか行く機会が訪れませんでした。

神磯の鳥居や真っ白な二の鳥居は、もちろん海波を感じるのですが、石段上の境内は、海沿いであることを忘れるほど静かな森の中で、雰囲気がガラリと変わります。
思い描いていたのとは全く違う雰囲気で、大好きな神社になりました照れ乙女のトキメキ

自宅からは3時間半かかるのですが、行ってよかったです。

次回は、兄弟神社である「酒列磯前神社」をご紹介しますウインク


最後までお読みいただき、ありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン