【京都府・京都市】八坂神社 | 鳥居の向こう側

鳥居の向こう側

埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2021年11月27日参拝。


「吉田神社」の最後で雨に降られ傘

バスバスに乗っているうちにまた晴れました太陽



八坂神社神社


南側の石鳥居

この鳥居から南へ行くと、高台寺や清水寺があります。
祇園祭祭の際には、神輿はここから出発します。


電車京阪電車・祇園四条駅より徒歩5分。
電車阪急電鉄・京都河原町駅より徒歩8分
バス市バス100番または206番「祇園」下車目の前。


南楼門

こちらが表参道なのですが、ほとんどの参拝者が四条通側の西楼門から入るため、こちら側は静かです照れ


「八坂神社」は平安京の東を護るお社で、創祀について、社伝には2つの説が伝わっています。

①渡来人が神様をお祀りしたのが起源。
斉明天皇2年(656年)に高麗より渡来した伊利之使主(いりしおみ)が、新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を当地(山城国愛宕郡八坂郷)に奉斎したことに始まる。

②お坊さんがお堂を建立したのが起源。
貞観18年(876年)に南都の僧・円如(えんにょ)が当地にお堂を建立し、同じ年に祇園神が東山の麓・祇園林に降り立ったことに始まる。
牛頭天王を播磨国から京都に勧請し、現在地に「祇園社」として祀られました。

長徳元年(995年)には、朝廷が王城鎮護の社として崇敬した「二十二社」(下八社)に数えられました。

古くは興福寺、その後、比叡山延暦寺の末寺とされ、「感神院」と号して、境内には薬師堂や鐘楼などもありました。

元亀2年(1571年)、織田信長による比叡山焼き討ちにより、比叡山の支配から離れ、独自の祇園信仰を続けることとなり現在に至ります。
明治元年まで「祇園社」「祇園感神院」と称したため、地域の人からは「祇園さん」と親しみを込めて呼ばれます。



楼門をくぐると左手に、
手水舎アセアセアセアセ

ほとんどが観光客で、使っている人などほぼいませんでしたにやり


楼門の正面に、舞殿

花街の置屋や付近の料亭から奉納された、たくさんの提灯🏮🏮🏮


ご本殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

【御祭神】
《中御座》 素戔嗚尊

《東御座》 櫛稲田姫命
    御同座  神大市比売命
                  佐美良比売命
※3柱とも素戔嗚尊の妻

《西御座》 八柱御子神
※素戔嗚尊の八神の御子神
・八島篠見神(やしまじぬみ)
・五十猛神
・大年神
・大屋比売神
・抓津比売神(つまつひめ)
・宇迦之御魂神
・大屋毘古神
・須勢理毘売命

    傍御座  稲田宮主須賀之八耳神
      (いなだのみやぬしすがのやつみみ)
※櫛稲田姫命の父母


主祭神・素戔嗚尊は、牛頭天王(=武塔天神)とも称し、また薬師如来を本地仏としています。
牛頭天王が、仏教の聖地であるインドの「祇園精舎」の守護神であるとされていたので、祇園神と呼ばれました。

牛頭は韓語の「ソシモリ」の訳であるともされ、『先代旧事本紀』では、大己貴命の荒魂=牛頭天王だとしています。



ご本殿は「祇園造」と呼ばれ、5つの特色があります。

①神社の本殿建築として最大の床面積。

②複雑な内部空間。
本来別々の建物だった本殿と拝殿を1つの大屋根で覆い、その周囲を囲むようにいくつもの部屋がある。
※ご本殿側面図 八坂神社公式HPより

③三方に伸びる又庇(またびさし)。
檜皮葺の大屋根の下に、北・東・西面の三方へ伸びる庇があり、八坂神社の社殿にのみ見られる特殊な様式。

④江戸幕府最後の直轄事業。
承応3年(1654年)江戸幕府によって再建されたご本殿は、のちに寺社優遇政策を取らなくなる幕府が、社寺に対して行った最後の直轄事業となりました。

⑤龍穴の上に建つ社殿。
ご本殿の下には、現在は漆喰で固められて見ることは出来ませんが、大きな池があり、平安京の東の鎮めである青龍龍の棲む龍穴があると伝えられています。


楼門をくぐってすぐ右手に、
能舞台


その隣りに斎館


楼門の左手に、神輿庫


【祇園祭について】
「京都三大祭」そして「日本三大祭」の1つでもある「祇園祭」。

疫病の流行により、朝廷は貞観5年(863年)、神泉苑で初の「御霊会」を行いました。
平安時代、疫病を引き起こすのは、非業の死を遂げ恨みを現世に残したまま亡くなった人々の怨霊による祟りであると考えられていたため、
各地で「御霊」を慰撫する「御霊会」が催されました。

貞観6年(864年)の富士山の大噴火🌋、貞観11年(869年)の貞観地震と疫病の流行ガーンなどが続き、不安が深刻化した際、
平安京の広大な庭園であった神泉苑に、 当時の国の数であった66本の矛を立て、
その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓いました。
また、
祇園社より神輿3基を送り、薬師如来を本地仏とする牛頭天王を祀り、国家の安寧と厄災消除を願う御霊会を執り行いました。
この御霊会が「祇園祭」の起源とされ、
かつては「祇園御霊会」と呼ばれていました。

天変地異と疫病流行の原因は、藤原種継暗殺事件で無実を訴えながら亡くなった早良親王ら6人の怨霊の仕業との、陰陽師による卜占があったとのこと。

安和3年(970年)からは毎年行うようになったとされますが、祭式は神仏混淆であるばかりでなく、陰陽道や修験道の儀式も含まれていました。

その後、神仏分離により神社名が「八坂神社」となった際に、祭礼名も仏教色を排除するため「祇園御霊会」から「祇園祭」に変更されました。


神の依代としての「神籬」
例大祭の時に立てる「幟」もそうですが、祇園祭の「山鉾」も神籬です。

※京都文化博物館蔵

山形(屋形)の上に高い柱(鉾)を立て、先端に「だし」を置きます。
「だし」は、杉の葉・笹・榊などの依代形式のものや、提灯・人形などをベースに装飾をこらしたものへと発展しました。



たくさんある境内社をご紹介しますウインク

境内図

境内図の右下から、反時計回りに。

一画にお稲荷さんが2社🦊



末社・玉光稲荷社(たまみつ)

【御祭神】宇迦之御魂神

その背後、一段高いところに、
末社・命婦稲荷社

【御祭神】三狐神🐺


御神水タラータラータラー


末社・大神宮社

【御祭神】
天照大御神
豊受大御神



摂社・悪王子社

【御祭神】素戔嗚尊の荒魂


悪王子の「悪」=「強力」の意味です。


祓所キラキラキラキラキラキラ


末社・美御前社(うつくしごぜん)

【御祭神】
多岐理毘売命
多岐津比売命
市杵島比売命


ご本殿と同じく「又庇」の付いた造り。

御祭神が容姿端麗であったとの言い伝えから、美容の神として信仰が篤く、


社前にご神水「美容水」が湧き出ていますアセアセアセアセ
肌に数滴つけると、身も心も綺麗になるという言い伝えがあるそうで、ここは女性が列を作っていました。


東北門を挟んで、北側(ご本殿の裏)へ。

末社・日吉社
こちらの社殿も「又庇」付き。

【御祭神】大山咋神




末社・刃物神社

【御祭神】天目一箇神
筑紫・伊勢忌部の祖。 
金属鉱業の神=作金者(かなだくみ)


末社・五社

【御祭神】
八幡社  応神天皇
竈神社  奥津日子神・奥津比売神
風神社  天御柱命・国御柱命
天神社  少彦名命
水神社  高龗神・罔象女神


北側は静かで落ち着ける参道でした照れ



末社・祖霊社

【御祭神】八坂神社歴代宮司等関係者


末社・厳島社

【御祭神】市杵島比売命
宗像三女神ではなく、イチキシマヒメだけでした。


ここで北門に達します。
ご本殿の左手へ。

神馬舎馬


末社・十社

【御祭神】
多賀社  伊邪那岐命
熊野社  伊邪那美命
白山社  白山比咩命
愛宕社  伊邪那美命・火産霊命
金峰社  金山彦命・磐長比売命
春日社  天児屋根命・武甕槌神・斎主神                  比売神
香取社  経津主神
諏訪社  健御名方神
松尾社  大山咋命
阿蘇社  健磐龍神・阿蘇都比咩命


末社・大年社

【御祭神】大年神・巷社神


ご本殿も拝殿も、1つの大きな屋根の下です。


こちら側からだと「又庇」もよくわかりますねウインク



真裏には「北拝礼所」がありました。


手をかざすと鈴の音音符で清めてくれるという、観光客向きのものが…イヒ


舞殿を西側から。



ここから西楼門の方へ進みます。

末社・大国主社

【御祭神】
大国主神・少彦名命・事代主神



向かい側に、
末社・北向蛭子社

【御祭神】事代主神 
商売繁盛の神・通称「えべっさん」


末社・常磐神社
車祓所も兼ねているようです。


【御祭神】素戔嗚尊


末社・太田社

【御祭神】猿田彦命・天鈿女命


摂社・疫神社

【御祭神】蘇民将来命

『備後風土記』逸文にある、あの有名な茅の輪の由来となった、武塔天神と蘇民将来の神話は割愛します。


こちらのお社にも、ご本殿と同じ
「又庇」があります。

西楼門から入り、この「疫神社」に最初にお参りし、厄を落としてからご本殿へお参りする、という参拝方法が以前テレビ📺で紹介されていました。
祓殿の役割ということかなキョロキョロ

紹介順は最後になりましたが、私もこちらを最初にお参りしましたお願い


西楼門

京都のメインストリート・四条通の東の端にそびえる、八坂神社最古の建造物。応仁の乱により焼失し、明応6年(1497年)に再建されました。


四条通は満員電車のように観光客でごった返していて、西楼門はその延長にあります。
入るのを一瞬ためらうような混雑ぶりでしたショック



【御朱印】

紋は「唐花木瓜紋」(からはなもっこうもん)です。

もともと「木瓜紋」は窠(か)と言って、中国から伝来し、衣服の文様から始まり、それが御簾の帽額(もこう)の文様となりました。
そのため「帽額の紋」と呼ばれ、のちに「木瓜」の字を当てて用いるようになりました。

祇園社の社務執行を代々世襲している紀氏が、この紋を用いており、
武勇の神としても崇敬される素戔嗚尊が御祭神であることから、武勇を表す「巴紋」を組み合わせ、八坂神社の神紋とされたとのことです。



初詣並みの人出だった「八坂神社」。
それでも、ご本殿裏の北参道は、人気が少なく良い気が感じられました照れキラキラキラキラ

限られた時間の中で、よくこれだけ写真撮ったなぁカメラと思いますほっこり

西楼門から出て、大混雑の四条通を歩いて宿泊先のホテルまで戻ったのですが、すぐに土砂降り傘になりましたタラー
八坂神社の写真を見ると、青空ですよねびっくり
ついてたなぁ…と思います。


記事を編集する時間は楽しいです爆笑ルンルン
夫と一緒の旅行だと、急ぎで境内を巡るため、あまり実感が沸かないのですがぼけー、写真を整理しながら記事を書くと、あらためてゆっくりお参り出来たような気分になれますキラキラキラキラキラキラ


長文の記事を最後までお読みいただき、ありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン