2021年11月28日参拝。
貴船神社
叡山電鉄鞍馬線・貴船口駅より
京都バス33系統・「貴船」下車、
徒歩5分。
貴船口駅からバスに乗らずに歩くと、30分以上かかると思います
二の鳥居。
貴船神社の象徴とも言える、春日灯籠の並ぶ南参道の石段。
この日は日曜日だったけれど、奇跡的に人が1人も映らない石段の撮影に成功
「貴船神社」は、鴨川上流の山中、鞍馬川の支流である貴船川のほとりに鎮座します。鴨川の水源地です
『延喜式神名帳』の名神大社であり、二十二社の下八社に数えられる神社。
国家レベルの災害時に国家として祈願を行う神社とされた、霊験あらたかな古社で、全国に450社以上ある貴船神社の総本社です。
「きふね」は「氣生根」とも記され、
古くから気の生ずる根源として、御神気に触れることで気が満ちるとされてきました
延暦13年(794年)、上賀茂神社の第二摂社となり、
弘仁9年(818年)、大社に列せられ従五位下の神階を受けます。
嘉承元年(1106年)、上賀茂神社が炎上し、御神体が貴船神社に遷されますが、
明治4年(1871) 、上賀茂神社から独立し、官幣中社・「貴船神社」となりました。
手水舎
本宮・拝殿
創建の地である奥宮が洪水で流損したため、天喜3年(1055年)に現在の地に本宮が移されました。
貴船川の下流から順に、
「本宮」「結社(中宮)」「奥宮」の
3つの宮で構成されています。
【御祭神】
高龗神
ご本殿
貴船神社は、絵馬発祥の地でもあります。
歴代天皇は、日照りや長雨のほか、凶作や疫病が流行するなど、天下に大事がある時には必ず勅使を遣わし、厄除を祈願すること数百度にも及んだと伝わっています
水の神として、日照りの時には黒馬、長雨の時には白馬または赤馬を献じて、祈雨・止雨を祈願しました
ご本殿瑞垣の手前に、祖霊社。
氏子の祖霊を祀っています。
その先に、奥宮への御門。
石段を下って行くと、左手の斜面に、
牛一社(ぎゅういちしゃ)。
初めて聞く名称です
【御祭神】木花開耶姫命
古伝によると「牛鬼」を祀ったもの。
牛鬼は、貴船明神が降臨した際のお供で「仏国童子」とも言います。
饒舌によって貴船明神の怒りに触れ、舌を八つ裂きにされて追放されましたが、後に許され、その子・僧国童子は貴船明神に奉仕。
その孫までは姿が鬼でしたが、その子の代から人の姿に変わり「舌(ぜつ)」の氏を名乗ったとのことです。
舌氏は代々貴船神社の神官を務めましたが、上賀茂神社の摂社となってからは雑役を担当することになったそうです。
饒舌だと神様の怒りに触れるなんて
私もヤバいかも
牛一社からさらに斜面を上ったところに、2つお社があるのが見えましたが、帰りに撮影しようと思っていて忘れました
川尾社(罔象女命)と、鈴鹿社(大比古命)があったようです。
本宮から中宮・結社までは、徒歩8分。
石段を上って行きます。
空気が澄んでいて、とても良い気の場所です
中宮・結社(ゆいのやしろ)
【御祭神】
磐長姫命
天孫・瓊々杵命が木花開耶姫を娶りたいとその父・大山祇神に申し出た時、父は姉の磐長姫もともに勧めましたが、瓊々杵命は木花開耶姫だけを望まれ、磐長姫命を返されました。
磐長姫はこれを大いに恥じて
「吾ここに留まりて人々に良縁を授けよう」
と言ってお隠れになり、ここに鎮座されたという伝承が残っています。
さらに、平安時代の歌人・和泉式部が夫の心変わりに思い悩んだ際に参詣し、
「自分のもとに返ってきて欲しい」と
歌を捧げ復縁祈願したところ、願いは見事に叶い、夫は和泉式部のもとに帰ってきました。
それ以来「恋の宮」と称され、縁結びの神として都中に知れ渡るようになったとのことです。
御神木の桂。
天の磐船。
山中で発見された巨石が、結社に奉納されたとのことですが、
磐長姫命に天の磐船、唐突ですよね
和泉式部の復縁祈願は、夫と浮気相手の縁切りを祈る呪詛とも言えます。
磐長姫命の気持ちも、「大いに恥じて」と言えば綺麗ですが、羞嫉→嫉妬→憎しみ→呪いとなっても不思議ではありません。
そもそも父神・大山祇神も、怒って天孫ニニギ以降の神には寿命を作る呪いを掛けたのです。
祟り神はご神威も強いので、この結社は祟り神・磐長姫命の呪いを封印する場所で、それを逆に強力な縁結びのご神徳としているのかも、と思いました。
京都の神社だと、なおさらそんな発想になります
奥宮へ向かいさらに進むと、
相生の大杉。
同じ根から生えた2本の大杉が、ぴったりと寄り添うように立っています
樹齢1,000年とのこと。
逆光で見落としそうになりましたが、その上の斜面にお社が見えます。
2社の合祀殿でした。
私市社 【御祭神】大國主命
林田社 【御祭神】少名彦命
「私市(きさいち)」というのは、武蔵七党でもお馴染みの名前
【高龗神と闇龗神】
貴船神社の御祭神である高龗神は、闇龗神とも伝わります。
社記には
「呼び名は違っても同じ神なり」
と記されています。
「龗(おかみ)」=龍や蛇の類を指す古語。
降雨・止雨を司る龍神であり、雲を呼び雨を降らせ、陽を招き、降った雨を地中に蓄えさせて、それを少しずつ適量に湧き出させる働きを司る神です。
水は万物の命の源。大切な水の供給を司る「水源の神」です。
『古事記』によると、
伊邪那岐命と伊邪那美命の神生みで最後に生んだ火の神によって、伊邪那美命は身を焼かれ亡くなります。
悲しんだ伊邪那岐命は火の神を十握剣で断ち切り、指の間から漏れ流れ滴る血がそそいで成った神が「闇龗神」
一方、『日本書紀』第7の一書では、
伊奘諾尊が剣を抜いて、軻遇突智を斬って3つに断った。
1つは雷の神となり、1つは大山祇神となり、1つは「高龗神」となった。
これにより、高龗神と闇龗神は、同一神であると言われているのです。
しかし一説には、
高龗神=山に降る雨を司る「山上の龍神」
闇龗神=谷に降る雨を司る「谷底暗闇の龍神」
と言われています。
火の神から生まれた水の神が高龗神(闇龗神)。
人にとって火は大事なものですが、使い方を間違えると大きな災いをも招く。
荒ぶる火を鎮めるため、火の神から水の神が誕生したのです。
奥宮の鳥居。
鳥居をくぐると神橋があり、下には小さな川が流れています
和泉式部の故事により、この川は「思ひ川」と呼ばれるようになったとのこと。
参道。
本宮から奥宮までは、徒歩15分です。
気がつかない人が多かったですが、神門の手前に小さな手水鉢
ここでもう1度身を清めます
神門。
玉依姫命の神霊が出現し、川を遡って辿り着いた貴船神社創祀の地。
森に囲まれた神聖な場所です
貴船神社の起源について、社記には、
「国家安穏 万民守護のため 太古 丑の年の丑の月の丑の日に 天上より貴船山中中腹 鏡岩に天降れり」
とあります。
第18代・反正天皇の御代(406~410年)
に、神武天皇の母・玉依媛命が出現し、
「吾は皇母玉依姫なり。恒に雨風を司り以て國を潤し土を養う。また黎民の諸願には福運を蒙らしむ。よって吾が船の止まる処に祠を造るべし」
と言い、黄色い船に乗って、現在の大阪湾から淀川・鴨川・貴船川を遡り、清水の湧き出る霊境吹井を見つけ、この地に上陸。
よってここに水神を祀り、祠を建てた。
とのことです。
舞殿。
京都の神社はこの配置が多かったです。
舞殿 兼 拝所ということでしょうか
奥宮
【御祭神】
高龗神(一説には闇龗神)
玉依姫命も祀られていると伝わる。
本殿の真下には「龍穴」と言われる大きな穴が空いており、その上に社が創建されたとのこと。
龍穴は人目を忌むべき神聖なもので誰も見ることが許されておらず、貴船神社の龍穴は『日本三大龍穴』の1つとされているそうです。
陰陽道や古代道教・風水術において、繁栄するとされている土地を「龍穴」と呼び、龍穴へ向かう流れを「龍脈」といいます。
龍脈の高いところから低いところへと気が流れ、気がたまる場所・気が噴出する場所が「龍穴」なのだそうです。
貴船山から南に向かい龍脈をたどった先、気が集結する場所は…
賀茂別雷神が降臨した神聖なる山、「上賀茂神社」の神奈備である「神山」です。
舟形石。
玉依姫命が乗った黄船(貴船)は、人目に触れないように小石で覆い隠したと伝えられ、今も苔むして奥宮ご本殿の側に祀られています。
奥宮の境内に、末社が3社ありました。
鈴市社。
【御祭神】五十鈴姫命
吸葛社。
【御祭神】味耜高彦根命
日吉社。
【御祭神】大山咋神
その後方に、
御神木・連理の杉。
連理とは、別々の木が重なって1つになる意味で、夫婦男女の仲睦まじいことを言うそうです。
杉と楓が和合したもので非常に珍しいとのこと。
【丑の刻参り】
前述したように、貴船神社には、
「丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻に貴船明神が貴船山に降臨した」
という伝説があることから、古来より
「丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻に参拝して願掛けすると心願成就する」と言われています。
悪意を願掛けすると「呪詛」となり、貴船神社は呪詛場のメッカとなってしまいました
丑の刻(深夜1時~3時)に呪いを念じながら、藁人形を釘で木に打ち付けるという呪詛です。
一般に知られる藁人形の呪詛は、貴船神社が発祥の地といわれていて、奥宮の境内を中心とした周辺の木には、今でも釘の跡が残っている木が多く見つかるらしい、とのこと。
その情報を夫に話したら、探してみよう❗などと言うので、悪い念を持ち帰るから絶対にやめて🙅♀️と言いました。
奥宮の参拝を済ませ、御朱印を拝受するため、本宮の授与所へ戻ります。
本宮への北参道の鳥居。
御朱印をいただきに行く間、夫には貴船川を見下ろせるこの休憩所で待っててもらいました。「龍船閣」かな
【御祭神】下照姫命
川に入らないと行けないところにあるので、仕方なく遥拝
水辺のお社はとても澄んだ気ですよね
以上、人が多くてあまり良い写真が撮れませんでしたが…
実際この場にいた時には、軽い目眩💫のような感じで、意識があまりクリアではなかったので、
自分の撮った写真を見ながら記事にして、あらためて参拝したような気持ちになれました
いつかまた、絶対再訪したい神社です
長文の記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました