【埼玉県・和光市】武州白子熊野神社 | 鳥居の向こう側

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埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

2021年5月24日参拝。


地元駅から4駅の、東武東上線沿線の神社を訪れましたおねがい



武州白子熊野神社神社

~富士塚のある白子宿の鎮守~




鳥居


電車東京メトロ有楽町線&副都心線・地下鉄成増駅より徒歩10分、
東武東上線・成増駅より徒歩12分。


右手が鳥居をくぐって徒歩の参道。
左手は駐車場🅿️です。



鳥居の神額は、象形文字のようでした。



細い参道を進みます。



「武州白子熊野神社」は、和光市白子に鎮座します。

天平宝宇2年(758年)、朝廷は、日本に渡来した新羅の僧たちを武蔵国に移して、新羅(志楽木)郷を作りました。
「白子」の地名は、「新羅」から転訛したものと言われており、戦国時代の文書の中には「白子郷」の記載があります。

天正15年(1587年)に白子郷に新宿が創設されると、村の規模は次第に大きくなり、元禄年間(1688~1704年)には上下に分村。
上白子村は、現在は練馬区北大泉町、下白子村が和光市白子です。

白子宿は川越街道の入口の宿場で、毎月五十日には市が立ち賑わっていましたが、東武東上線の開通により廃れていきました。

なるほど。下の地図を見ると、今の東武東上線そのものですおねがい


白子宿の次、「膝折」=朝霞市膝折、その次の「大和田」=新座市大和田。
今もそのまま地名が残っていますニコ
その先の「大井町」は、以前は入間郡大井町でしたが、現在は、上福岡市とふじみ野市に合併されています。


「悪病退散」の幟が立つ中、さらに参道を進みます。





8段の石段を上ると、



広々とした境内
社殿の背後は、鬱蒼とした緑に包まれています。



「武州白子熊野神社」の創建年代は不詳ですが、社伝によると、およそ1000年前と言われています。

那智熊野大社に伝わる「米良文書」には、「しらこ庄 賀助、庄 中務丞」と記載があり、和光市の白子に居住していた領主にも、熊野信仰が伝えられていたことがわかります。

『風土記稿』によれば、白子の鎮守は元来は氷川神社でしたが、いつの頃からか、不動堂の境内の熊野権現が鎮守とされるようになり、氷川神社は次第に衰退していったとのこと。

この付近は、鎌倉時代には霊場として尊崇を受けるようになっていたものと思われ、熊野信仰の布教が進んでいたと推測されます。
滝不動と熊野信仰の隆盛により、江戸時代には多くの参詣者を集め、明治5年に氷川神社を合祀し、村社となりました。


拝殿乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ



【御祭神】
伊弉冉尊
健御名方命
速須佐男命
速玉男命
事解男命
倉稲魂命


他の神社ではあまり見かけないものがありましたキョロキョロ



神使である八咫烏が描かれています。






ご本殿キラキラキラキラキラキラ



社殿の左手に石段があったので、境内社かと思って上って行ってみると、



神瀧山清龍寺不動院でしたにやり


石段の右手には高さ2.5mほどの滝があったそうなのですが、鬱蒼としていてよくわかりませんでした。
音も聞こえなかったので、今はもう枯れているのかも知れませんぼけー


「神瀧山清龍寺不動院」は、江戸時代に別当であった寺院です。
滝の上には滝不動があり、平安時代に、天台宗の高僧・慈覚大師円仁が、この滝に霊気を感じて堂宇を建立したことが起源とのこと。

修験の道場として設けられた不動院には全国各地から修行者が来山したとのことですが、
現在も、護摩行・滝行・座禅などが行われているそうです。

「開運洞窟めぐり」なるものもあり、赤い鉄の扉がついたお稲荷さん🐺がいちばん奥深い洞窟のようで、肝試し化して人気があるようですにやり




【熊野三山について】
今までちゃんと整理したことがなかったので、おさらいしますウインク

熊野本宮大社
【御祭神】
家津美御子大神=スサノオ
食物を司る豊穣神
出雲国八束郡に鎮座する「熊野神社」を勧請したもので、五十猛を祀ったとする説あり。

熊野速玉大社
【御祭神】
熊野速玉大神=イザナギ
死穢の禊祓を司る神
イザナギ・イザナミの御子とする説あり。

熊野那智大社
【御祭神】
熊野夫須美大神=イザナミ
冥界と関係がある神
イザナギ・イザナミの御子・事解男命とする説あり。


「日本書紀」にイザナミが熊野の有馬村に葬られたとあることから『死者の国』とされ、平安時代に修験道の霊場として有名になりました。

熊野三所権現の本地仏は、
本宮=阿弥陀如来
速玉=薬師如来
那智=千手観音
とされます。

宇多法皇、鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇など、熊野御幸は100回近くにも及びましたが、いずれも天皇在位中の参詣ではないことが特徴。
つまり、あくまでも個人的な信仰によるもの、ということです。
江戸時代には、「蟻の熊野詣」と言われるほど参拝が盛んでした。


今までに訪れた熊野神社は、
都内の、十二社熊野神社・青山熊野神社・自由ヶ丘熊野神社・五方山熊野神社。
そして、埼玉では川越熊野神社へお参りしましたが、ここ「武州白子熊野神社」がいちばん熊野っぽいと思いました。



川越街道と環八が立体交差になっていて、境内は崖下にあるのです。
社殿背後の雰囲気が熊野っぽさを生み出していると思いますキョロキョロ


崖から湧き水が染み出していて、ご本殿の裏は池のようになっていました。
鬱蒼として怖くて、入っていけませんでしたガーン


社殿の右手には忠魂碑が並んでいました。




広い境内の右手には、富士塚があります。
白子富士富士山

明治3年築造。
通年、自由に登拝出来ます足


境内へ上る8段の石段の右手に、富士塚登山道への鳥居があります。



「武州白子熊野神社」にはなぜか手水舎がなかったけれど、富士塚登山口には水盤がありました。
地元ではお馴染み、丸吉講の紋が入っています照れ



登山口左右に、
手を合わせる猿猿の石碑




登山道ですルンルン



中腹に鳥居と石祠がありました。



社名は書いていなかったけれど、普通は小御嶽神社ですよね。
もう1つの祠は何でしょう??



さらに登ります。



雲切不動の石碑



山頂はもうすぐです爆笑



山頂の富士嶽神社富士山


境内の案内板には、境内社として
「富士嶽神社」と「國平神社」が記載されていましたが、「國平神社」らしきものはありませんでしたぼけー
「國平」という名称からすると、忠魂碑のことかも知れません。


富士塚山頂からの眺め乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ



下山道は別にあり、社殿のすぐ右手に出ます。





御神木でしょうか…。
特に説明はなかったけれど、参道の左手に大きな2本の木がそびえていました。



社殿の左手に社務所
お正月門松と例祭祭の時以外は無人のようです。





「武州白子熊野神社」は、2020年秋に朝霞の「出雲大社埼玉分院」に行った際、御朱印待ちをしていた女性2人組に教えてもらった神社です。
和光市に熊野?と思ったし、すごく勧められたので、1度行ってみたいと思っていました。

今思えば、そのお2人は寺院も巡っている方のようだったし、清龍寺不動院や、開運洞窟巡りのほうがメインだったのかも知れませんほっこり

不動院はともかく、熊野神社の境内はひっそりとして雰囲気は悪くなかったし、富士塚富士山にも登れたのでよかったです照れルンルン



お読みいただきありがとうございました爆笑ルンルンルンルンルンルン