2021年3月1日参拝。
~占いの神・櫛真智命を祀る式内社~
読みは「おおまとのつのてんじんじゃ」または「おおまとのつのあまつかみのやしろ」。
JR南武線・南多摩駅南口より徒歩5分。
川崎街道を横断して住宅街を進むと、赤い常夜灯が目に入りました。
参道入口。
社号碑。
「延喜式内」は控えめに細い文字です。
石段は何段階にも分けて続きます。
最初は5段。
2対めの常夜灯があり、次は20段ほど。
そして、鳥居です。
創建年代は不詳。
所在地は、稲城市大丸。
大丸村の鎮守で、江戸時代以前は「丸宮社」「丸宮明神」「円宮明神」などと呼ばれていました。
現在は、旧別当である円照寺の南側の丘に鎮座していますが、
古くは、現在地の1kmほど西の、「天神バケ(明神バケ)」というところにあったと伝えられています。
「バケ」=嶽または崖の意。
「大丸」という地名は、
社号の「大麻止」→「大円(おおまど)」→「おおまる」→「大丸」という説があります。
「大丸」にあるお宮なので、人々が親しみを込めて「丸の宮」あるいは「麻止(円)の宮」と称し、
「丸宮明神」「円宮明神」となったものと思われます。
明治6年、郷社に列格し、社号を「大麻止乃豆乃天神社」に改称。
鳥居をくぐり10段ほど上ると、
右手に手水舎
水盤には「水垢無」?
「水垢離(みずごり)」ならわかるけど、「水垢無」というのは…
右から「無垢水(むくすい)」か
水盤に溜まった水は手を浸すのが躊躇われ…
蛇口からポトンポトンと落ちる水で清めました
手水を使った後は、急で長い石段
上から。目が眩みます🌀
『延喜式神名帳』の多磨郡八座は、
①阿伎留神社 (あきる野市)
②小野神社 (多摩市・府中市)
③布多天神社 (調布市)
④大麻止乃豆乃天神社 (稲城市・青梅市)
⑤阿豆佐味天神社 (西多摩郡瑞穂町)
⑥穴澤天神社 (稲城市)
⑦虎柏神社 (調布市・青梅市)
⑧青渭神社 (調布市・青梅市)
です。
④「大麻止乃豆乃天神社」の論社は、
稲城市・大麻止乃豆乃天神社
青梅市・武蔵御嶽神社
の他にも、
八王子市・天満社
府中市・大國魂神社
という説もあるようです。
「丸宮明神」(当社)は古書が散逸し、江戸時代には祭神不詳とされていたことから、『新編武蔵風土記稿』や『神社覈録』などは「御嶽神社」を式内社としていました。
明治2年には「御嶽神社」のほうが式内社と決定し、社号が「大麻止乃豆乃天神社」に改められましたが、
明治7年、再び「御嶽神社」と改称します。
その後は、「大丸」の村名や鎮座地の大円山などの証があることから、
『神祇志料』や『特選神名牒』など、「丸宮明神」(当社)を式内社・「大麻止乃豆乃天神社」とする説が強くなりました。
狛犬・吽形。
背中に小さい子どもを乗せています。
これが最後の石段。
ここまで結構キツかったです
やっと山頂です
拝殿
【御祭神】
櫛真智命 くしまちのみこと
社殿を左から
拝殿と一体となった
ご本殿の覆屋
【櫛真智命について】
『古事記』『日本書紀』には登場せず、神々の系図にもその名が載っていません
唯一『延喜式神名帳』に、大和国の「天香山坐櫛真命神社」の御祭神という記載があり、割注に「元名 大麻等乃知神」とあります。
大麻等乃知命(=大麻止乃豆乃命)は櫛真智命の元の名であったことがわかります。
※当社の社号も、御祭神の名にちなむものとされます。
なんとなく女神っぽい名前だけれど、「姫」や「女」が付いていないので男神なのでしょう
「櫛真智命」
クシ=「奇し」=奇異な・素晴らしい。
マ=美称・強調。
チ=知能・知識・知恵
=奇異な知識を持った神様。
「大麻等乃知神」=大いなる、真実を知る神。
雄鹿や猪の右肩甲骨や、アオウミガメ🐢の甲羅を焼き、そのひび割れで吉兆を占う「太占(ふとまに)」を司る神様。
卜占を業とする人々から崇敬された神でした。
【同一視される神】
『古事記』の天岩戸の場面では、
「天児屋根命、布刀玉命を呼び、天香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天香山の天波波迦を取りて、占合まかなはしめて」
と、神様たちが迷われた時に行う太占の方法が記されています。
※神宮徴古館所蔵 伊藤龍涯「天照大神」
櫛真智命は、一説には天児屋根命の別名、あるいは父神とも言われています。
『尊卑分脈』の天児屋根命のところに、
興登魂尊と許登能麻遅媛命の間にお生まれになった、とあります。
許登能麻遅媛命=櫛真智媛命であり、その子が櫛真智命であろう、としています。
同じく『尊卑分脈』の系図では、
神皇産霊尊の御子・櫛真乳魂命=櫛真智命ではないか、との説もあります。
天児屋根命の別名とする説には、
「櫛真(くしま)」=「鹿島」とする説もあります。
平田篤胤は『古史成文』の中で、
天児屋根命の別名として
「八意思兼神・天津兒屋根命・櫛眞智命・櫛眞命・太麻等能智命・太麻等能豆命・国之辞代命」を挙げています。
なんと
櫛眞智命=天児屋根命だけでなく、思兼神まで同一神とする説です
この説について、Wikipediaを見ると、
思兼神の子に、
天表春命・天下春命の二神がいて、
天児屋根命の子にも同名の二神がいるのがわかります
青梅市文化財ニュース「御嶽神社の御祭神」によれば、
天児屋根命・太玉命・櫛真智命は皆同じ神としています。
なんと太玉命まで同じ神とは
櫛真智命として祀る神社は少なく、
・「天香山神社」(奈良県・橿原市)
・「太祝詞神社」(長崎県・対馬市)
・「大麻止乃豆乃天神社」(当社)
くらい、とのことです。
「阿伎留神社」の境内社・「占方神社」にも櫛真智命が祀られていました。
「阿伎留神社」の主祭神は大物主神または味耜高彦根神で、天児屋根命も合祀されているので、櫛真智命とは別の神?と思いますが…
天児屋根命は、江戸時代以降「春日大明神」と呼ばれていた時期に後から祀ったもので、「占方神社」も後から境内に祀られているため、別の神とも言い切れません。
天児屋根命&太玉命についても、簡単におさらいしてみます。
【天児屋根命について】
言霊の神・祝詞の神。
祭祀を司る家柄・中臣(藤原)氏の遠祖。
神を祝福する言葉・祝詞を奏上するのが役目です。
本来「祝詞(のりと)」は、祭祀の場で神霊が憑依する霊能力者が、神の意志(託宣)を伝える時の呪力のある言葉です。
「のり」=「祈る」「乗る」。
神霊が人に憑依した状態を表しています。
それに対して、
「寿詞(よごと)」は、人間の側が神に感謝し、神の力を称える言葉。
祝詞・寿詞=神と人間のコミュニケーションなのです。
「中臣」=神と人の中を取り持つという意味です。
中臣氏は、吉凶判断などの占いを司る集団「卜部」を統率していました。
「コヤネ」=「小さな屋根」=神託を受ける場所を意味します。
【太玉命について】
占いの神・祭具の神。
神道祭祀奉仕の家柄・忌部氏の遠祖。
岩戸の前で卜占をし、榊に勾玉・鏡・幣を付けた太玉串を作って捧げ持ちました。
これが、玉串や注連縄のルーツです。
「串」=「櫛」と考えると、
太玉命=櫛真智命の説も有り得るな、と思えます
【おみくじのこと】
ちなみに、おみくじも、太占や亀卜などの神意を図る儀式から派生しました。
漢字で「御神籤」と書きます。
おみくじには人の力を超えた意思が働くと考えられ、おみくじで物事を決めることは「神意の表れ」とされました。
神の意志を問う祭具として重要視されていたのです。
私は、新年に「敷島神社」で引いたおみくじは1年間大切に保管し、
そこに書かれた神様からのお言葉を、事あるごとに読み返しています
社殿の左手。
とても良い気の場所でした
菱沼氏は『武蔵の古社』の中で、
【大和の神社の社名をとらず、御祭神の旧名を社名としていることから、大和の「天香山坐櫛真命神社」から分霊したものでなく、それ自身が古い神社であることは間違いあるまい。】
との見解を示しています。
『万葉集』の東歌に、
「武蔵野に 占へ肩焼き 真実にも 告らぬ君が名 卜に出にけり」
という歌があります。
古くは武蔵野に卜占を業とする者が数多く住んでいて、庶民の求めに応じて占いをしていたのでしょう。
府中には武蔵国の中で最も多く人口が集中し、勢力のある者、富裕な者たちが居住していたと思われるので、
病気回復や探し物など、卜占業者に対する需要も多かったと思われます。
大丸の部落にも、卜占業者の集団(卜部氏)が居住していて、彼らの氏神として奉祀していた神社が「大麻止乃豆乃天神社」であろうと推測されます。
もう1つの論社「武蔵御嶽神社」についても、
【大丸の「大麻止乃豆乃天神社」を氏神とする部族の中の誰かが分かれて、御岳山を信仰したのかも知れない。】
と菱沼氏は言っています。
ですが…
「武蔵御嶽神社」には新年に太占の神事があり、太占の系譜を今に伝えています。
現在でも太占の神事が行われているのは、「武蔵御嶽神社」と「一宮貫前神社」のみです。
境内社をご紹介します
社殿の左手に、
津島神社。
合祀殿。
左から、
白山神社。
神明神社。
稲荷神社。
その右にもう1社、
稲荷神社🦊
シンプルな石祠に、石造りの神狐が1対だけ🐺
ごちゃごちゃと狐がたくさん置かれていないのは、珍しいと思いました
丘の斜面に、名称不明社①
社殿の右手には、
秋葉神社。
境内社に「秋葉神社」がある場合、ご本社のいちばん近くにあることが多いと思います。
ご本社・社殿の火防守護のためでしょうか
その右に、名称不明社②
その右手にも細い参道がありました。
狛犬の前の踊り場で合流します。
御朱印は、本務社である中野区・「神明氷川神社」の社務所で拝受出来ます。
「神明氷川神社」へは、2019年の6月に行きました。ずいぶん遠くに本務社があるんだなぁ…。
御朱印のために行くには遠いので、行きませんでした。
社名が珍しいので欲しいですけど、またの機会に
櫛真智命・天児屋根命・太玉命が同一の神説については…
「太占」を司る神様は、元々は櫛真智命で、天岩戸の場面に出て来るように、記紀に描かれる時に、祝詞の神=天児屋根命、祭具の神=太玉命と役割を分けて、
それぞれを中臣(藤原)氏の遠祖、忌部氏の遠祖としたのではないか、という気がします
平田篤胤説では、思兼命も同一の神ですが、これも、「櫛真智命」の「智」の部分が知恵の神・思兼命になったのかも
占いって、言葉がとても重要だし、豊富な知識がないと出来ないですからね。
櫛真智命が記紀に一切出て来ないのは、もっと古くて原始的な神様だからなんじゃないか、と思いました
南多摩駅に戻る途中の住宅街の中、さらさらと小川が流れていました
長々とお読みいただき、ありがとうございました
次回は、同じ稲城市の式内社・「穴澤天神社」です
【参考文献】
●「武蔵の古社」菱沼勇 有峰書店
●「『日本の神様』がよくわかる本」戸部民夫 PHP文庫
●「日本の神様読み解き事典」川口謙二 柏書房
●「日本人として知っておきたい神道と神社の秘密」彩図社
【ネット記事】
○青梅市文化財ニュース「御嶽神社の御祭神」青梅市文化財保護指導員連絡協議会
○武州みたけの信仰「櫛真智命について」國學院大学教授/神道学博士・三橋健