東京メトロ丸ノ内線・中野富士見町駅より徒歩6分の、
神明氷川神社です
表参道の入口と、社号碑。
鳥居は参道入口ではなく、少し入ったところにあります。
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参道の左手に手水舎
薄暗い参道の途中にある涼しげな手水舎は、結構好きです
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水盤の紋は「左三つ巴」。
センサー式の吐水口には、龍も狛犬もいません。
隣りには、井戸と百度石がありました。
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今さらですが…
「百度参り」とは、拝殿・本殿と境内の特定の位置との間を、100回往復して願をかけること
回数を間違えないように、1回毎に備え付けの札を裏返したり、こよりを1本ずつ折り曲げたりしたそうです。
「百度石」には、
①百度参りの起点の石。
②大願成就のお礼として建てられた石。の2パターンがあり、
こちらの百度石は、②と考えられるとのこと。
なるほど
シンプルな角柱形とか円柱形じゃなくて、凝った形の石碑みたいな百度石は、祈願が成就した後で建てたものなんですね
薄暗い参道を抜けると、突然目の前が明るく開けます
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拝殿前の狛犬さん
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拝殿で、す……ガーン
まさかの改修工事中調べが甘かったぁ
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文明元年(1469年)に太田道灌が、「武蔵大宮氷川神社」より勧請し、毎年祭日には太田家より玉串が奉納されたと伝えられています。
旧雑色村字川島の村の鎮守で、旧社格は村社。
「新編武蔵風土記」には、「氷川神社」と「神明社」の合社と記載されています。
(「神明社」は、北の神田川の畔から移転して「氷川神社」と合祀。)
かつては鳥居の神額には「天照皇大神宮・氷川神社」と並記されていました。
社殿は弘化年間(1844~1848年)・嘉永年間(1848~1854年)の頃に別当寺正蔵院の住職の岸祐宜氏によって改築整備されました。
大正15年(1926年)に権現造りの銅板葺きの社殿に建て直され、昭和6年に神楽殿と社務所が建てられましたが、昭和20年、空襲により焼失。
戦後、数回に渡る復興計画で昭和33年に現在の社殿・神楽殿が建てられました。
拝殿は東向きです。
拝殿内部は改装中で裸電球が下がり💡、職人さんが入っていました。
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天水桶の文字と紋が、偶然にもグリーンの養生シートとマッチしちゃってます
天水桶だけ三つ巴紋の向きが逆です。
御鎮座550年記念事業として、5月9日~8月20日の期間は社殿改修工事中🚧⛑️
照明のLED化や、天井・壁・床の補修、御簾など調度品の取替、バリアフリー化をするそう。
拝殿の外観は従来のままの形を残し、内装はかなり変わるとのことでした。
主祭神
素盞嗚命 すさのおのみこと
相殿神
大日孁命 おおひるめのみこと
=天照皇大神 (素盞嗚命の姉神)
櫛稲田姫命
くしなだひめのみこと
(素盞嗚命の妃神)
事代主神 ことしろぬしのかみ
大山祇神 おおやまつみのかみ
ご利益
殖産興業・五穀豊穣・除災招福・家内安全・商売繁盛・身体健全・病気平癒・縁結び・家庭円満
ご本殿は工事中ではなく、見ることが出来ましたよかった~
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ご本殿の裏手には、神輿庫が並びます。
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御朱印です
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主祭神は素盞嗚命なので、メインの「氷川」を大きく中央に。
でも、順番はあくまでも「神明氷川」。
姉神の天照大神のほうが上ですからね
境内の広さとか、参道が狭く暗くて、拝殿前で突然広く明るい場所に出るこの感じ。
私が、地域の人に愛される氏神さまをイメージすると、こんな感じの神社かな
全然上手く言えないけど、そういう神社でした
下調べが甘く、改装中に訪れてしまったので、工事終了後に是非また訪れたいです
さらに北東へ10分弱歩き、もう1社巡ります
東京メトロ丸の内線・中野新橋駅より徒歩5分、中野坂上駅より徒歩6分、
都営大江戸線・西新宿五丁目駅より徒歩6分の、
八津御嶽神社
(やつみたけじんじゃ)です
神田川沿いにそびえる現代建築のビル。
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「八津御嶽神社」と書かれた神額。
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コンクリートの外壁には、オシャレな洋風の家の玄関にありそうな、タイルの表札。いや、表札じゃないけど
「YATSUMITAKE SHRINE 」と書いてあります。
ガラスのドアから中に入ると、右手に小さい水盤がありました。
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「八津御嶽神社」の発祥の地(本宮)は、宝生山。
山梨県の南西部、南巨摩郡南部町のなだらかな山です。
旧住所から取って「八津」と書きましたが、現在は「谷津」となっています。
文治元年(1185年)に、甲州東河内領谷津村岡田乃郷字八津に、地頭職の八津多聞左ェ門藤原時種という人がいて、地頭屋敷の北側に、国家安穏・五穀豊穣を祈念して小さな祠を建立し、鎮守とします。
これが「八津御嶽神社」(本宮)の起源とされています。
以降、代々の地頭職が斉主として神社を守り、守護・地頭職制度が廃止された後も「八津御嶽神社」だけはこの地の鎮守として残り、現在に至っています。
この「八津御嶽神社」の分社として、大正10年に、本宮より1人の神主が東京(当初は現在の浅草橋)に出て来たことが始まりです。
「自分の家庭を円満に成り立たせることが最も大切なこと」とし、首都圏に暮らす家族の幸せを支える守り神として、多くの人に親しまれているそうです。
ちょっと風変わりな神社なので、興味本意で行ってみましたが、社殿はとても美しかったです
入口を入った1階部分は、小さい旅館のような料亭のような、アットホームな雰囲気でした
ビルの中に入るのは、少しだけ勇気がいるかも知れません
私は全く観たことはなかったのですが、テレビで何度も紹介されているとのことです。
とても人気のようで、私が御朱印を書いていただいている間にも、ご祈祷の予約の電話が何回もかかって来ているようでした📞
山梨県の本宮にも、いつか機会があれば行ってみたいと思いました。
次回は、新宿区の神社です