【荒川区】諏方神社 | 鳥居の向こう側

鳥居の向こう側

埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

6月13日(木)、久しぶりの都内の神社ですおねがい


JR山手線、京浜東北線、東京メトロ千代田線・西日暮里駅より徒歩3分の、


諏方神社(すわじんじゃ)です神社


駅の1番出口(西側)を出てすぐ、国道457号線を左に曲がり、線路沿いの諏訪台通りを上って行きます。
「西日暮里公園」を、クランク状に回り込み、まっすぐ進むと鳥居が見えますが、表参道の鳥居はさらに先。



表参道の一の鳥居社号碑
⬇️⬇️⬇️

社号碑は「諏訪神社」、鳥居の神額は「諏方神社」と表記が違いますキョロキョロ

現在は「諏訪」が一般的ですが、かつては神社名としては「諏方」の表記の方が多かったそうです。
当社が所有している元禄時代の軸に、「諏方大明神」と記されていることから、社名を「諏方神社」としています。
社号碑だけはどうしちゃったんだろ??



鳥居は、荒川区登録文化財です。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
石畳の参道がまっすぐに伸びています。


広くて緑が豊かな、とても気持ちのよい境内です照れ
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
参道は途中で斜め右に折れ、突き当たりに石段です。



石段の手前、右手に手水舎アセアセアセアセ
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️ 
水盤には「梶の葉」紋。


平安時代末にはすでに、「梶の葉」は諏訪明神の神紋とされていました。
梶紋は、葉だけのものと、葉・枝・幹・根の付いたものがあり、細かくは30種類以上の家紋があるそうですびっくり




私が5月に訪れた諏訪大社の神紋は、
「根梶」または「根あり梶」と言い、3本梶に太い根がある独特な図柄のものでした。 
上社の梶紋は「諏訪梶の葉」と呼ばれ、根が4本下社の梶紋は「明神梶の葉」と呼ばれ、根が5本です。


諏訪大社の大祝(神職の長)の家系である諏訪氏・金刺氏は「諏訪梶の葉」を家紋とし、諏訪氏の分家や氏子は「立ち梶の葉」「丸に立ち梶の葉」などの派生紋を採用することが多いようです。 
鎌倉時代以降、各地に諏訪信仰が広まり、梶の葉紋も広まっていきました。
⬇️⬇️⬇️

「抱き梶の葉」なんていうのもあるんですね~キョロキョロ
実はこれも後で出て来ます。

要するに本来は、3本梶に根っこがあるタイプの梶紋のほうが、位が上ということなんですね。
厳密に言えば、正しい紋を使用していないところも多いような気もしますがにやり



石段を上ります。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
拝殿前の二の鳥居


拝殿前の狛犬さん犬
⬇️⬇️⬇️
後ろにのけぞったような姿勢の、独特な狛犬です爆笑



拝殿ですキラキラキラキラキラキラ
⬇️⬇️⬇️


元久2年(1205年)、豊島左衛門尉経泰が、信濃国の諏訪大社より御神体を勧請して創建したと言われています。

源義朝の死後、家臣であった豊島平四郎の子・平六郎が諏訪明神にお家再興を祈願したところ、夢で託宣を受け、諏訪湖畔に行くと、水面から白気が立ち上り、水中から御神体とおぼしき光るものを発見しました。
※『新編武蔵風土記稿』によると、一寸ばかりの薄黒い円石。

この御神体を祀ったところ家運は上向き、治承4年(1180年)頼朝が挙兵した際に駆け付け、数々の軍功を上げました。
この功績により元久2年(1205年)武蔵国豊島郡を与えられ、豊島左衛門尉経泰と名乗るようになり、霊夢によって得た御神体を「諏方大明神」として領地に祀りました。

文安年間(1444~1449年)に太田道灌が神領を寄進し、寛永12年(1635年)、現在の地に遷座します。
慶安2年(1649年)には徳川家光より社領5石の御朱印状を拝領、以来徳川氏は厚く崇敬を寄せました。



お賽銭箱
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
天水桶。どちらも「立ち梶の葉」
天水桶の色が鮮やか過ぎるブルーです。
もう少しグリーン寄りのほうが、社殿には合うように思います。



御祭神
建御名方命 
たけみなかたのみこと


ご利益
武運長久・交通安全・事業繁栄・五穀豊穣絵馬



拝殿の神額
⬇️⬇️⬇️
                                        ⬆️⬆️⬆️
狛犬さんの後ろ姿照れ
首をかしげていますね。尾てい骨が背中のほうまで伸びています。  


明治になり、日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守として崇敬を集めました。
上野から飛鳥山に通じる高台にあって大変眺望が良く、「諏訪台八景の地」にも選ばれています。
「日暮の里(ひぐらしの里)」として、江戸有数の景勝地でした。

明治5年(1872年)村社に列格。
空襲で被災しますが、昭和27年に復興しています。



狛犬さんは向かい合っていなくて、正面を向いているんです。
⬇️⬇️⬇️


一段高くなっている社殿。
正面の他に、左右からも石段があり、それぞれに鳥居があります。
⬇️⬇️⬇️

墨田区の「牛嶋神社」もこのスタイルでした。



境内には4つの末社があります。
社殿の左手の渡り廊下をくぐって奥へ向かうと、
⬇️⬇️⬇️



石碑の形で祀られているのが、
御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神
⬇️⬇️⬇️



この場所からご本殿を見ることが出来ますキラキラキラキラキラキラ
⬇️⬇️⬇️


幣殿とご本殿の間に、石橋がありました。(瑞垣の隙間から撮影カメラ)
とても珍しいですびっくり
⬇️⬇️⬇️

                                      ⬆️⬆️⬆️
繋いでいなくて置いているだけなので、この隙間が怖いガーン
献饌の時、気をつけてください~。

 

反対側、社殿の右手には、
三宝荒神社
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
このお賽銭箱の紋にご注目!!
これが「抱き梶の葉」ですよね爆笑

三宝荒神は、日本仏教の信仰の中で独自に発展した神様で、竈の神さまとして祀られることが多いです。
杉並区の「大宮八幡宮」にもありました。



さらに、三峯神社
⬇️⬇️⬇️

                                     ⬆️⬆️⬆️
三峯山と書かれた石碑。
よく見ると、宮司さんの苗字が「日暮さん」です!!
「日暮里の総鎮守」の宮司さんが日暮さんなんて、スゴい!出来過ぎ爆笑



石段を下りて、社殿の右下にもお社。
⬇️⬇️⬇️


可愛いサイズの狛犬さん犬
でも、お顔は結構コワモテ滝汗
⬇️⬇️⬇️

末廣稲荷神社・銭降稲荷神社です🦊
⬇️⬇️⬇️
稲荷神社なので、神幕の紋も「稲荷玉」
なぜ神狐じゃなくて狛犬なのかな??キョロキョロ



一の鳥居をくぐって、参道の右手に
神輿庫
⬇️⬇️⬇️


神輿庫も狛犬さん犬が護ります。
⬇️⬇️⬇️

台座の文字も、狛犬さんの口も、赤がはみ出しまくり、ダラダラと垂れています(笑)


シャッターが付いてて、簡素な倉庫のような神輿庫が多い中、かなり重厚な造りのカッコいい神輿庫ですラブ
⬇️⬇️⬇️


裏側には町内会の神輿庫も並んでいました。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
神輿庫側からの境内の眺め。



中央にご神木キラキラキラキラキラキラ
⬇️⬇️⬇️



これが、駅から諏訪台通りを来ると、最初に出てくる西側の鳥居
神額には「総鎮守」と書かれています。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
西側からの眺め。


西側には神楽殿があります。
⬇️⬇️⬇️
⬆️⬆️⬆️
西側の奥、社殿の左手には社務所


鳥居の横のとは別に、もう1つ社号碑忠魂碑
⬇️⬇️⬇️



そして境内の東側(線路側)にも鳥居
⬇️⬇️⬇️

実は今回、「諏方神社」へ行きたいと思ったのは、この鳥居が見たかったからなのです照れ


版画家・笠松紫浪の、
「夕空 日暮里諏方神社」がとても気に入り、これと同じ景色を見たい!と思ったのがきっかけでした。


その版画と実際の景色を並べてみますおねがい
⬇️⬇️⬇️

出来るだけ同じ構図になるように、5~6枚撮影してみましたが、目線の高さとか、神楽殿の位置や大きさがデフォルメしてあるようで、全く同じにはなりませんでした。
でも、かなり近くないですか??爆笑

版画は昭和7年の作です。
88年も前なのに、鳥居の左手の木の枝振りなんかそのままでスゴいルンルン


この東側鳥居へは、「地蔵坂」を上って来るルート。
JRの改札を出たら、いったん反対側の2番出口(右)へ出ます。駅前の商店街を南へ少し歩いて、右手の駐輪場にもなっているガード下をくぐると、「地蔵坂」の下へ出ます。

線路沿いを上って来ると、東側の鳥居へ出るのです。
⬇️⬇️⬇️



御朱印は、社殿左手の社務所でいただけます。
⬇️⬇️⬇️




2年前に神社巡りを始めて、このあたりは何度も訪れていましたが、最初は区別に巡っていたため、「諏方神社」は抜け落ちていました。
隣接している文京区や台東区の神社へは行っていたのですが、西日暮里駅の西側のこのあたりだけ荒川区だったためですほっこり


版画がきっかけで神社に行こうと思ったことなんて初めてでした。
加えて、「諏訪大社」へ行って来たばかりの時期だったこともあり、より一層身近に感じられた、というのもありました。

「諏方神社」は、境内が高台にあってとても広く、緑も多くて雰囲気のよい素晴らしい神社でしたキラキラキラキラキラキラ
是非また訪れたい神社です照れ




次回は、中野区の神社ですウインク