【埼玉県・所沢市】坂之下天神社 | 鳥居の向こう側

鳥居の向こう側

埼玉県・東京都・千葉県・神奈川県の神社を中心に巡り、ブログを書いています♪

6月14日のつづきですおねがい

前回ご紹介しました、
地元「大和田氷川神社」の御朱印をいただきに、お隣り所沢市まで自転車で遠征しました自転車


JR武蔵野線・新座駅より徒歩22分の、

坂之下天神社です神社


鳥居社号碑
赤いコーンはどうしても避けることが出来ませんでしたショック
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鳥居からまっすぐに参道が伸びていて、奥に拝殿が見えます。



鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎アセアセアセアセ
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ここもやはり水盤に水はなく、柄杓もありませんショボーン
蛇口をひねると水は出ましたタラー
天神さまなので、水盤には「梅鉢紋」



その先に拝殿です。
雨上がりではないですが、境内は何となくしっとりとした雰囲気です照れキラキラキラキラ
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拝殿前の狛犬さん犬
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拝殿
黄色い注連縄は、大和田氷川神社のと同じものでした。
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創建年代等は不詳。
当地の治水開発の守護神として水神が祀られ、その後天神を合祀しました。

明治5年村社に列格。
明治40年字丸久保の神明社、字折口の熊野社、字上と字稲荷下の稲荷社を境内に合祀、明治45年村社に指定されました。

古くは「田中天満宮」と称し、また「天満宮」とのみ称していた時代もありました。


御祭神
菅原道真 すがはらのみちざね


ご利益
合格祈願、学業成就絵馬



扁額

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すぐ裏に大きな山崎製パンの工場があるため、山崎製パン奉納のものが多いようでしたパン



※鎮座地の坂之下は、所沢市の東端に位置しています。
武蔵野台地の西方から荒川に向けて緩やかな坂となっていますが、この坂は当地に至りやや平坦な地となるので、西から見て当地を「坂之下」というのだそうです。




当社に代々奉仕している金子家は、明治以前は「本山派修験梅林山大学院」と称し、別当として当社を管理していました。

現本殿は嘉永年間の建立であり、明治末期には金子家の屋敷内にあった社殿を移築し拝殿としました。
昭和58年に覆屋と拝殿が新築されました。



本殿はコンクリートの覆屋に覆われていますキョロキョロ
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拝殿の左手に境内社があります。
右から、
熊野社氷川社御嶽社
いちばん左に納札所
コンクリートブロックが残念過ぎます…ぼけー
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その右手に稲荷社🐺



これは、名称がありませんでした。
何だろう??
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こちらは参集殿にやり



灯籠を2種。
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北側の鳥居
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参拝者用に結構大きな駐車場車も完備されているのに…ここも無人でした。
ご、御朱印は??ガーン笑い泣き

すぐ近くに宮司さんのお宅がないかと探してみましたがわからず…


と、駐車場にある看板に宮司さん宅の電話番号を発見!!

お電話して聞いてみたら、
山崎製パンパンの前の大きな道を所沢方面に行った通り沿いにあり、「金子宮司」と看板が出ているとのこと。

教えていただいた通りに自転車で向かいますが、看板は全然ありません。
途中敷地の大きなお宅のお庭にいらっしゃった女性に尋ねてみたら、金子宮司さんのお宅をご存じでした爆笑

まだまだ先のようです左矢印左矢印自転車



宮司さんのお宅を探す途中で発見。
普通の住宅街に突然小道があり、その奥に
藤森稲荷神社。(御朱印はなし)
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さらに所沢方面へ行くと、
やっとありました!!爆笑
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まさかこんなに遠いとは…。
自転車でこんなに遠くまで来ることになるとは滝汗滝汗滝汗



玄関の中に入れていただき座布団まで出してくださって照れ
無事に御朱印いただけましたルンルン
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前回の「大和田氷川神社」の御朱印もこちらで無事にいただけましたおねがい



予定外に遠くまで来てしまったけれど、金子宮司さんも奥さまも、とても穏やかで優しい方で癒されました照れ


この日はあともう1社、地元の氷川神社へと向かいます自転車




昨日からもう7月七夕

私は半年で1冊の手帳を使っていて、過去の手帳はすぐに処分してしまいます本

つまり7月1日になったら、6月30日までの手帳は処分バイバイ


まだ記事にするのは先になりますが、

先週金曜日に茅の輪もくぐって来て、この半年の間に犯した罪、積もった心身の穢れを祓って来ましたキラキラキラキラキラキラキラキラ


何だかいろいろとあった半年でしたが…

手帳とともに、また気分も新たに頑張りますおねがいルンルンルンルンルンルン







「hanaの整理収納diary」もよ

ろしくお願いしますウインク