4月25日(水)、この日は夕方に病院の予約があり、それまで神社巡りをしようと決めていましたが…
前日から雨
ですがお昼頃には雨が上がったので、
病院に近い港区の神社を巡ることにしました
昨年末以来、4ヶ月ぶりの港区の神社です。
東京メトロ日比谷線・広尾駅より徒歩2分の、
廣尾稲荷神社です
鳥居と社号碑。
⬇⬇⬇
有栖川宮記念公園へ向かう道沿いの、ナショナル麻布スーパーマーケットの上に仕事の取引先があったので、仕事でもよく来ていたところなのですが、
右へ曲がったことがなかったので、こんなに近くに神社があるのは知りませんでした
鳥居をくぐると狛犬さん
⬇⬇⬇
なんだか変わった体型です。
上半身がひょろっと長く、下半身が小さい…あんまり強くなさそうで頼りにならなそうな狛犬さんです
参道の左手に手水舎
⬇⬇⬇
社伝によると、慶長年間(1596~1615年)に二代将軍・徳川秀忠公が鷹狩の際に当地に休息のため立ち寄り、その際に稲荷神を勧請したと伝えられています。
千蔵寺が別当寺であったため『千蔵寺稲荷』と呼ばれていました。
当時の麻布広尾周辺は萩の名所として賑わったため、『ハギナメ稲荷』とも称されました。
※「ハギナメ」とは、可憐な萩が地面をナメるように咲き乱れていたことによります。
1764年に社殿が造営されますが、1845年、青山火事によって焼失。
1847年に社殿が再建されました。
拝殿はこの時のものが現存しています。
明治になり神仏分離。
明治42年、社号を現在の『廣尾稲荷神社』に改称しました。
御祭神
宇迦魂之命(倉稲魂命) うかのみたまのみこと
ご利益
商売繁盛、五穀豊穣、火防守護
大正12年、関東大震災によって土蔵造りの本殿が著しく破損。
大正14年に木造にて本殿・幣殿が再建されています。本殿・弊殿はこの時再建されたものが現存しています。
昭和15年に境内整備が行われ、氏子崇敬者の寄進により、鳥居や社号碑、常夜燈、手水舎などが建立され、参道も整備されました。
徳川将軍家の別荘「富士見御殿」の鎮守「富士見稲荷」が廣尾稲荷であるという資料が多いですが、当社の由緒書によると別の神社であるとされています。
現ドイツ連邦大使館敷地内に鎮座していた富士見稲荷の御神体が、当社本殿に安置されており、現在、ドイツ連邦大使館敷地内に富士見稲荷の旧跡があり、祠が残っているとのことです。
拝殿には細かい龍の彫刻が施されていました
⬇⬇⬇
神紋は、『右三つ巴』。
私独自の覚え方は、
勾玉のような形をおたまじゃくしに見立て、丸いほうが頭で右回り(時計回り)に進んでいるのが「右三つ巴」、左回り(半時計回り)に進んでいるのが「左三つ巴」
拝殿内の7枚つなぎの天井板に墨竜画が描かれていて、社務所に声をかけると昇殿させていただけるとのこと。
宮司さんの奥様らしき方が境内を箒でお掃除されているところで、
昇殿の許可をいただきました。
墨竜画です
⬇⬇⬇
日本洋画家の先駆者高橋由一画伯の、日本画最後の大作として貴重なものです。
当時、高橋由一が仕えていた堀田摂津守の下屋敷が当社と隣接していたため、社殿の再建に際して、まだ20歳前後の青年画家由一が拝殿の天井板に墨竜画を描いたとのこと。
港区指定有形文化財です。
拝殿内部。
⬇⬇⬇
いただいた御朱印と由緒書です。
⬇⬇⬇
名称は『廣尾稲荷神社』なのですが、
稲荷神社っぽさが全くなく、狭い境内ながらもとても趣があり、雰囲気のよい素敵な神社でした
ですが、どこか違和感を感じていて、それが何なのか、記事を書くまでわからなかったのです。
地図を見ていてやっとわかりました💡
社殿が北向きなんです
普通は南向きか東向きですよね。
神社巡りをしていて、西向きの社殿の神社はありましたが、ここは北向きでした。
正確に言うと…真北よりは若干西のほうに向いていて、北北西くらいですかね
雨が止んでどんどん気温が上がって来ました
私もハイになって来ました
港区の神社巡り、もう少し続きます