「原爆供養塔~忘れられた遺骨の70年」(堀川恵子 文春文庫)

イメージ 12015年発行の単行本が、先月文庫となって出た。
以下はアマゾンから引いた内容紹介。

広島の平和記念公園の片隅に、小山のような塚がある。「原爆供養塔」だ。地下には引き取り手のない原爆被害者の遺骨が収められている。その数、七万柱。訪れる人もまばらなこの塚を、半世紀にわたって守ってきた「ヒロシマの大母さん」と呼ばれる女性がいた。

95歳の佐伯敏子さんは供養塔に日参し、塚の掃除をし、訪れる人に語り部として原爆の話をしてきた。佐伯さんも被爆者のひとりで、母を探しに投下直後の広島市内に入って放射能を浴び、原爆症に苦しむことになった。佐伯さんと供養塔との関わりは、養父母の遺骨が供養塔で見つかったことがきっかけだった。納骨名簿を調べ、骨壺を一つ一つ点検し、遺骨を家族のもとへ返していく作業を、佐伯さんは一人で続けてきた。その姿勢が行政を動かし、多くの遺骨の身元が判明した。しかし、1998年に佐伯さんは病に倒れ、寝たきりになってしまう。
 著者が佐伯さんと出会ったのは、そんな矢先だった。佐伯さんの意志を継ぐかのように、供養塔の中の、名前が判明している「816」の遺骨の行方を追う作業を始める。名前、年齢、住所まで書かれているのに、なぜ引き取り手が現れないのか? そんな疑問から始まった取材は、行政のお役所的対応やプライバシーの問題、そして70年の歳月という分厚い壁に突き当たる。しかし、著者は持ち前の粘り強さを発揮し、遺骨の行方を一つ一つ追っていく。
 すると、存在しないはずの「番地」や「名前」が現れ、祭られたはずの死者が「実は生きていた」など、まるで推理小説のような展開を見せる。また、名簿のなかの朝鮮人労働者の存在や、遺骨をめぐる遺族間の争いといった生臭い現実にも直面することになる。さらに、あの劫火の中、死者たちの名前を記録した少年特攻兵たちの存在も分かった。
 あの日、広島で何が起きたのか? 我々は戦後70年、その事実と本当に向き合ってきたのか。これまで語られることのなかった、これはもう一つのヒロシマ、死者たちの物語だ。

 
 読みながら泣いた。
 義父はほぼ爆心地といえるところで被爆し、生きていたのは奇跡だったようだ。義母も爆心地から3キロくらいか。そのとき(20代の前半)、父親が朝風呂に入るというので、風呂を焚いていたそうだ。五右衛門風呂。原爆・・・気が付くと家の中に吹き飛ばされていたと。真っ黒くなった人たちがとぼとぼと歩いていった・・・。原爆のことはあまり語らなかったけど、20代で歯は全部抜けたと話していた。
 母は女学生で、投下後に救援等のため被災地に入った、いわゆる「入市被爆」。子供の頃からだが弱かった私は、そのせいではないかと母を心配させた。その母も、被爆地の様子を語りたがらなかった。
 人はみんな死んでいくのだけど、死者というか・・・地獄を見せられた人たち・・・、