祖母との思い出は、山ほどあるのです。

 

 

祖母が還暦の年に私が産まれ

それから私が18歳になるまで

一緒に暮らしていました。

 

 

でも仲良しだったかというと

実はそうではなく...

よい孫だったかというと

実は全然そんなことなくて...

 

 

子どもの頃から

喧嘩ばかりというか

私の方がいつも

ツンケンしていたのです。

 

 

祖母はとても気の強い人で

戦前戦後の厳しい時代を

生き抜いてきた人。



いや…

厳しい時代だからこそ

気を強く持つしか

なかったのかもしれません。



夫(私の祖父)を

早くに亡くしたこともあり

若いときは

お寺に間借りしながら

苦しい生活を

たった一人で

切り盛りしてきた祖母。



そんな祖母は

私がいくらツンケンしても

まったく動じず

いつも喧嘩っぽい

会話ばかりしていました…



今になって思うのは

私は祖母に対して

甘えがあった…ということ。



気が強くて

弱音も一切吐かない

何でも受け止めてくれる

祖母だから…



祖母にだけは

何の遠慮もなく

喜怒哀楽を

ぶつけられることができました。



楽しく笑ったり話したり

旅行に行った思い出は

ほとんどないのですが



今でも印象に残っているのは

高校の卒業旅行で

友人たちと

ディズニーランドに行った時のこと。



めずらしく

祖母へのお土産として

マグカップを買って渡したのです。



いつもの私なら

家族全員で分けて食べられる

お菓子にするのですが

なぜかその時は

祖母にマグカップを選んで

プレゼントしていました。



確かディズニーの

キャラクターたちが描かれた

少しクラシックな

デザインのマグカップ。



そのマグカップを渡した時の

祖母の顔が

今でも忘れられません。



祖母は高校生の私が

うろたえてしまうほど

「ありがとうありがとう」

と声をあげて

泣いて喜んでくれたのです。



それから毎日

そのマグカップに

コーヒーを入れて

飲んでくれていました。



今年で101歳の祖母。

5〜6年前から

施設に入所していたけれど

1年半前から

体調が悪くなり

病院に移っていました。



最後に会ったのは5年前。

私が結婚するタイミングでした。

その後は

コロナもあり

面会も難しくなりました。



先日の12月14日(木)に

父親からメッセージがあり

祖母が肺炎になり

もう長くは

生きられないかも…

と書いてありました。



その話を夫にすると

すぐに

「次の土日に帰ろう」と

言ってくれたので



その2日後の

12月16日(土)

祖母に会うために

私の地元・富山に

帰省することになりました。



駅に着くと

改札にはいつも通り

父親の姿が。



「さっき病院から電話があって

脈が弱くなっているので

すぐ来てくださいって言われた」



と心配そうに話す父親。

そのまま車で

祖母のいる病院に向かいました。



病院までは

車で20〜30分ほど。



病院に到着して

受付を済ませ

父親を先頭にして

祖母の病室へ。



「あれ、いない」



そこに祖母の姿はなく

廊下にいた看護師さんが

「こちらです」

と教えてくれた部屋へ。



呼吸器をつけて

ベッドに横たわる祖母。

目は閉じていて

寝ている様子だった。



「ばあちゃん、帰ってきたよ」

「さとこやよ」



おでこに手を当てて

そう声を掛けると

ぶるぶるぶる…と

顔が左右に動いた。



「あ、動いた!

私たちのこと分かったのかな?」



そう話していると

男性の看護師さんが

病室にやって来て



「ギリギリまで頑張っておられましたが

少し前に心臓が止まられました…」



と…。



え、今、

ばあちゃん動いたんですよ

声かけたら動いたんです



そう声に出して言ったのか

心の中で思ったのか

どっちだったか

記憶が曖昧…



とにかくその時点で

祖母は亡くなっていました。



死亡時刻は

私たちが面会に行った

14時14分となりました。



様子を見に帰ったつもりが

まさかその日に亡くなるとは、、



それから父親は

病院からの説明を受けたり

葬儀会社や親戚に連絡したりと

バタバタと忙しなくなり



私が姉や兄に

祖母のことを連絡しました。



父は私に

「お前が今日ここにいたのは、

たぶん巡り合わせやな」

と言っていました。



私もそうかもしれないな…

と思ったのです。



あの時、夫が

「次の土日で帰ろう」

と言ってくれなかったら

祖母の死に立ち会うことは

できなかったと思います。



夫にお礼を言うと

夫はこんな話をしてくれました。



まだ結婚する前、

二人で大阪の

難波神社にいた時のこと。


夫の祖母が

危篤という知らせが入りました。

それなのに

そのまま私と

居続けようとする夫に

私が慌てて

「今すぐ帰ったほうが良いよ」

と言ったことがありました。


夫は急いで

地元の香川県に帰り

何とか祖母が

まだ生きているうちに会えたと

感謝されました。


そのことが記憶に

色濃く残っていたので

今回、同じ状況になった私に

「すぐに帰ろう」と

提案したと言うのです。



胸の奥がじんわりと

あたたかくなりました。



私一人だったら…

きっとうろたえてしまって

どうしたらいいか分からなかった。



信じたくなくて

まだ大丈夫だろうと思いたくて

動けなかったかもしれません。



その提案が

とても心強くて

ありがたくて



そのおかげで

まだ温もりの残る祖母に

触れることができました。



「ありがとう」と

「ごめんね」を

何度も言えました。



ごめんね、の方が

多かったかもしれませんが、、、



病院から

遺体を運び出す時のこと。

それまで

ポツポツと降っていた雨が

その瞬間だけは

立っていられないくらいの

ものすごい暴風雨でした…



それも祖母からの

お別れのメッセージなのかな、、

と感じました。



祖母は

亡くなってしまったけれど

肉体は

なくなってしまったけれど

魂は

消えてしまうことはないから



またいつかどこかで

会えると信じて

「またね」

と言ってお別れしました。



ばあちゃん。

いつか生まれ変わって

もしまた出会えたら

今度はたくさん笑って

仲良く過ごそうね。。




お通夜の日。

大阪から北陸に向かって

サンダーバードに乗っていたら

一瞬だけ虹が見えました🌈



ばあちゃん、ありがとうね。。

長い間、本当にお疲れさまでした。