一般の多くは善人と思う。
善人は一般的に争いを避けたり、強制、いじめ等に我慢する。
私も同じ人種と自覚するが、
小学校で3回、中学校で2回の転校経験から、私もイジメを受けた。
いじめっ子は被害者の気持ちを察する意思も、学びも浅い。
今、親友でもある友人が高校生の時、私が入っているトイレの扉を
面白がって明けようとしたことがあった。昔のトイレの鍵は簡単なもので
私は「やめろ」と叫びながらドアを必死で握ったことがあった。
トイレから出て当然怒ったが、彼は、私は和式便器で用便する姿が面白いと
思ったと、罪の意識が薄く、私が怒る姿に逆に驚いた様子であった。
私は彼の意識の薄さに、あきれた記憶を思い出した。
彼のこの種の認識は、家庭環境にあったと思う。詳しくはプライバシー
にかかることなので省略。
私は、これまで3回の大きなトラブルに巻き込まれた。自分から好んでトラブルを起こしたわけではなく、火の粉が降りかかったので、解決の為に立ち上がっただけのことだ。
3回目は裁判まで発展し、勿論、私が勝訴した。
過労死の女性と似ているのは、大きな組織からの火の粉である。
親戚も他人も私が勝訴する3年間、私に非があると思っていた人が多かった。
結局、詳しいことは本人しか分からないと言えるのではないか。
私の人生観はこの時確立した。表題の通り、自分に降りかかる火の粉は
勇気を持って払うことの大切さを知った。
救われたことは、裁判中、妻・子供達は私を信じ、経済面で苦労を掛けたが
妻は1度も私に愚痴を言わなかったし、心で感謝した。
自分の命や心は大切にしたい。過労死、イジメ自殺と悲しい事件が多い昨今、
自分に降りかかる全ての犯罪や火の粉は、自衛する勇気がいるのではないか
追申 問題解決の一つに戦うだけでなく、泣く、仮病、弱音を吐く、など
「弱くなる」という作戦も自衛策として有効と思う。