きのう髪を洗っていて、
ふと、母のことを思い出しました。
すると、
『しあわせになりなさい』
という声が、聞こえたのです。
それが母の声かどうか、わからないのだけど、
わたしは、
母から、しあわせになってもいいと言われたのだと受け取りました。
…結婚して10年あまり、
母は、わたしに、
もとの家族の記憶を思い出させ続け、
過去をわすれて今の家族としあわせを築くのをゆるさなかった。
母がいなければ、
わたしはきちんと昔を忘れて、
周囲に合わせていけたかもしれない。
子供時代を、
すべて忘れて封じ込めて、
いいお母さんの役割に埋没し、
それなりに幸福でいられただろうと、思います。
だけど、
そういう普通のしあわせを、ゆるさないかのように、
母は、繰り返し繰り返し、
わたしがどのように見られていたか、
わたしがどのように扱われていたか、
わたしはどのような期待をされているか、
わたしに、思い起こさせ、
それは、
陰惨といっていい記憶を、
さいげんなくつつかれ続けるような苦痛となって、
わたしを苛んだのです。
母は、わたしをさいなむために存在していたのか。
わたしはそうだと思いました。
しかし、今日、すこしちがった感じ方をしています。
もし、この結婚が真実の愛に基づいているのなら、
わたしは、なにも、まもらなくても良かったはずなのでした。
わたしは、なにを守ってきたか?
それは、
『しあわせである』という、イメージだったのかもしれません。