「飲食チェーンM&A編19」


[上場の夢絶たれる]


〇〇〇〇〇の経営陣は皆さん逗子に住んでおられ、会長からは経営陣は何かあったらすぐ集まれる場所に住んでいる事が大事だと聞かされていました。


私はこの時2年前に購入した浦和の新築マンションに住んでおり、ある時社長から直々にお話があると呼ばれて社長室に入ると「村岡君もそろそろ逗子へ引っ越して欲しい、会長もそれをのぞんでるようだよ 家は上場させたらすぐまた購入出来るから考えてみて」と言われました。


私が社長をしていた会社はM&Aされる前から上場を準備しておりましたので、その可能性はゼロではありませんが、それよりここまで大切に思っていただける事に大恩を感じていました。


そして「骨を埋める覚悟で逗子へ引っ越そう」と決めました。


その晩妻にその話をすると本当にびっくりして

いましたが最後は「お父さんがそう決めたなら仕方ないね」と納得して来れました。


浦和のマンションは妻がとっても気に入ってやっと手に入れたものでしたので、私も本当に心が痛みました。


そして逗子の近くの葉山に賃貸マンションを借りて住む事にして、浦和のマンションは当初は賃貸として貸し出していましたが、それも長くは続かず、購入割賦と賃料を二重で支払わなければならず、最終的には購入価格の1000万円落ちで売却しました。


形としては何も残らず1000万円の借金だけが残りました。


今その浦和のマンションは20数年経っていますが販売価格は購入時の1000万円高に高騰しております。


そして2003年7月に私が社長をしている会社は本体と合併する事となりました。


上場を再度夢見ていた社員の方々には本当に申し訳なかったのですが、その当時の私には

それを拒否するだけの策もスキルも持ち合わせておらず、合併に印を押す事しか出来ませんでした。


決して安易な決意で印を押した訳ではなく

私も失ったものは本当に大きかった事をご理解いただければと思います。


それから18年間葉山に住み続け、その後も家を購入する事なく現在に至っております。


この当時の本体のPLは私も見せていただいた事はなく、あくまでも推測の域ですが、本体の業績が芳しくなく、それを補うために早々に合併したのではないかなと今は思っております。


そうしてM&Aした会社は全て本体と合併して

業態として残る事になったのです。


私は子会社の社長から〇〇〇〇〇の専務となり

営業全般を統括する任に就きました。