「飲食チェーンM&A編18」


[2社目3社目のM&A]


この頃の私はまだ浦和から横浜まで通勤しておりました。


会長、社長とご一緒して会食で遅くなると必ずタクシーで帰りなさいと言われ、私が「まだ電車で帰れますから」とお断りしたのですが、最最終的にタクシーに乗せられ運転手さんにお金を渡して帰されてしまいました。


そんなやりとりが幾度もあり、上司としての在り方も学ばせていただきました。


私にはまだそんな財力も無かった為、部下を大切に想う気持ちを忘れないように、出来る事をしっかりしてあげようと今まで以上に強く考えるようになりました。


そんな中、次の年に新たなM&Aが成立し

製菓会社の子会社を受け入れる事となり

その年はもう一件北海道の会社をM&Aしました。


資金調達には海外まで出向いてCBなどでも集めていたようで、これで年商は一気に450億円まで持ち上がり、4社が一緒に横浜本社で過ごす事となります。


3社目の会社はM&Aの交渉時より、先方の経営陣と馬が合わなかったようで、本社での幹部会では本体の会長と新たに加わった経営陣とで胸ぐらの掴み合いが始まるほどでした。


4社が協業に向かうよう会長、社長も舵を切る事はなく、各社の営業幹部達がそれぞれのスタンスで動いておりました。


〇〇〇〇〇は割引チケットを武器に呼び込みで

集客するタイプ。


我々の会社は業態の強みで集客しポイントカードで囲い込むタイプ。


まだまだ青い我々だけで協業を叶えるのは非常に困難な事で、強いリーダーシップで進めて行くには、会長か社長が全面に出てまとめて行くのが得策ではないかなと思っていました。


外食のM&Aは当時日本ではまだ余り前例がなく、何が正解なのかが分からない状態でした。


仕事以外ではバーベキュー大会を開催してくれたり、逗子の花火大会に合わせて食事会を開いてくれたりと輪を繋げて下さいましたが、肝心の仕事の協業に関しては、ある意味各社幹部に投げ放しになっていた為、営業では各社バラバラの施策となり、裏では買った買われたと言う感情が交錯しメリットよりデメリットの方が浮き彫りとなったような気がします。


そんな状態でしたので2社目、3社目のM&Aは

営業統合の観点から見ると、とても上手く行ったとは言えませんでした。


とにかくトライアンドエラーを繰り返して

答えを出していかなければならず、そういった意味では本体の経営陣の方々の動き方は間違っていたのではないかなと今はそう思います。