「飲食チェーンM&A編17」


[大阪進出その3]


千里中央は絶対に成功させなければなりません。


営業を固める他に販促を強化する必要がありました。


横浜から販促企画の2名を大阪入りさせて

今回のリーシング会社の方とマスコミへの情報提供をするための動きをしました。


するとfactory dining show 〇〇〇という

ネーミングと北海道が大阪にやって来ると反響が有り、朝の情報番組数社から取材の依頼が相次ぎました。


オープン前にマスコミの方々に店舗に入っていただき事前取材をお願いして、またオープンには100名限定でじゃがいものプレゼント企画もあると報じていただきました。


こうしてオープン初日を迎えました。


オープン当日


11時30分オープンに10時前には入り口前に行列がすでに出来ていて、これはまずいと11時頃からプレゼントを配り始めました。


あっという間に100袋のじゃがいもが無くなってしまい、お並びいただいた方々から大層なクレームを頂戴し、100名限定の告知を説明しましたが全く受け入れられず、翌日分を前倒しでお配りする事としました。


郷土料理エリアは即満席でウェイティングがかかりましたが、こちらのOPは慣れていましたので安心出来ました。


回転寿司エリアも即満席となり、こちらは郷土料理エリアよりお待ちになるお客様の数が多数ありました。


しかしここまでに鍛えたスタッフの方々がテキパキと動いてくれたおかげで思っていたよりもスムーズに営業が出来ていました。


北海道物産展エリアも好調で沢山のお客様で溢れておりました。


お客様から聞こえて来る「美味しいなぁ〜」

「これいいなぁ〜」という声を沢山いただき、

これならイケると自信が湧いて来ました。


その日の売上は確か350万だったと記憶しております。


その後も順調に客数を伸ばして、月の途中でオープンしましたが初月の月商は約1億円でした。


この千里の効果は心斎橋店にも好影響をもたらし、まさに起死回生の出店となりました。


その後私はこの会社の代表取締役社長に就任する事になります。


当時私は41歳、年商100億円の社長となりました。


立てた目標の社長までは55歳でしたので、14年ほど前倒しが叶いましたが、こちらは実力というより運の流れがそう動いたのだと思っております。


そしてその翌年の9月に〇〇〇〇〇は東証1部に上場を果たします。


上場の日、何故か私も東証に連れて行っていただきました。


そこで会長から「上場の鐘は3回叩けるから

私の分は村岡君が叩きなさい」といきなり言われて本当にびっくりしました。


1回目は社長が2回目は専務がそして3回目に私が鐘を突かせていただきました。


流石にこの時はダンプも相当緊張していて

当時の事は明確には覚えていません。


ただここまでしていただいたご恩は、何らかの形で報いたいと更に強く思うようになりました。