私はずっと、息子のことを不憫でかわいそうな子だと思っていました。
だって、学校を嫌がってまともに通うこともできず
お友達もいなくて、いつも1人で
仕事にもつけず
この子の人生は何なんだろうと、悲しくなってしまうのです。
どうして息子のことをかわいそうに思ってしまうのでしょう?
子どもらしい生活をしてほしい。
人並みに楽しい学校生活を経験させたい。
順調に成長してステキな人になってほしい。
たくさんの人と関わってほしい。
安定した生活を送ってほしい。
幸せになってほしい。
私は、そんなことを願って育ててきました。
それに反して息子は、大多数の人が送っているであろう普通の生活ができないことが、親として辛かったのです。
さらに気づいたのですが、そんな子どもの母親である自分のこともかわいそうに思っていたのです。
でも、親が思う幸せと息子の思う幸せは(うちの場合)かなりかけ離れています。
息子の望んでいる生活は、私のイメージしているものとは違っているようです。
融通の効かない私でもさすがに、親の願いや普通を押し付けるのはなんか違うとわかってきました。
息子は、本当にかわいそうな子なのでしょうか?
今の息子は、かなり落ち着いており、おおむねご機嫌に過ごしています。
これまで、どこかに所属している時は、とても苦しそうでした。
生活リズムは規則正しく、家のことも手伝ってくれます。
日中は、ゴロゴロすることもなく、ひたすら自分の好きなことをやっています。
時々、1人で出かけて電車に乗ったり、買い物をしたり、好きな物を食べたりしています。
本人には今やりたいことリストがあるらしく、それを実現したいと思っているようです。
それが何かは教えてくれませんが![]()
今言えるのは、息子は自分らしい生き方を選ぼうとしていること。
自分の幸せな在り方を模索していること。
世間の評価でもなく、人との比較でもなく、あくまで自分軸なのです。
ある意味、生きづらさを感じてきた私の理想とする生き方かもしれません。
そう考えると、私の中で息子はかわいそうな子ではなくなりました。
私が私の価値観というメガネを通して息子を見ていたから、かわいそうに思っていただけなのです。
『かわいそう』ということは、憐れみを持ち、上から目線でもあります。
その子を『なんとかしてあげないといけないダメな子』だと認識しているということでもあります。
自覚はなくても、親のそういう意識は子どもに伝わります。
怖いくらいに子どもは敏感に感じ取ります。
げんに、息子は「母さんは僕のことをダメな奴だと思っているでしょう」と、いつも言っていました。
そんなことを私は口に出したことは一度もありません。
でも、伝わるのです![]()
最近の私はやっと、息子をかわいそうな子だとは思わなくなりました。
同時に、かわいそうな母親からも脱却したいと思います。
それは息子の安心の土台を強くしてくれることでしょう。
世間からすると変かもしれませんが、ひきこもりの親は生半可な気持ちではやっていられないのです![]()