『不登校サミット2026』が開催されました。
オンラインで登壇者の話を聴く形なのですが、たくさんの学びや感動がありました。
私の中でヒットしたのは、3日目に登壇された星の会(不登校•ひきこもりを考える親の会)代表の加嶋文哉さんの期待しないで期待するという言葉です。
加嶋さんのお話が始まってから気がついたのですが、以前にもオンラインでお話を聴いたことがあり、それをブログにも書いていました。
その時のお話にえらく感動して、メモを元に必死にまとめたのを思い出しました。
期待、、、我が子にしてしまいますよね。
日々の小さなものから、将来への大きなものまで、親だったら期待を抱くのは当然のことです。
特に息子が登校しぶりだったり、不登校になってしまうと、私は毎日が期待と落胆の連続でした。
明日は行けるかな?(学校に行ってほしい)
学校以外のここなら行けるんじゃない?(そこに行ってほしい)
これならできるかな?(これをやってほしい)
現実はなかなか思うようにいかず、がっかりしてしまうことがほとんどでした。
今思えば、このがっかりが、たとえ口に出さなくても子どもに伝わり、エネルギーを奪ってしまっていました。
がっかりしたという自分の感情は、否定する必要ははないのですが…
期待しないで期待するというのは、不登校•ひきこもり経験のある加嶋さんの息子さんの言葉だそうです。
今すぐどうにかすることは期待しないで
いつかどうにかすることは期待するという、子どもの立場からの親への願いです。
期待は親の不安の裏返してもあり、子どもへのコントロールになってしまいがちです。
親のこうなってほしいという想いの奥にあるものを探っていくと、環境から身に付いた『べきねば』という価値観、プライド、見栄、世間体など他人軸の自分が見つかります。
それを一つ一つ認めながら手放しながら、さらにその奥にあるものをを探していきます。
そして、私がたどり着いたのは、子どもの生きる力、自分で立ち直る力には期待できる、信じられる ということでした。
だから、目の前の我が子の出来事に期待したりがっかりするのではなく、長いスパンで捉えて、まるっと信じられるとよいのだと思います。
とはいえ、私も、精神的なアップダウンが激しく、言動不一致で、何をやっても続かない息子を目の前にして
何が大丈夫やねん!
何を信じるんじゃ!
と、やさぐれた怒りとともに諦めの気持ちでいっぱいでした。
最後に加嶋さんが話されたことが、自分や息子の姿と重なり、泣きそうでした
(『可能性を信じる』と言っても)最初からそんなふうに思える親はなかなかいない。
失敗の連続の中でだんだんと腹落ちして、その域に達する。
最初は、親がどうにかしないといけないと、必死になるんだけれど、やってもやっても上手くいかない中で、だんだんと自分のやっていることはもしかしたら子どものことを優先しているのではなくて、自分の不安を押し付けているのかもしれないという失敗を繰り返しながら『可能性を信じる』ところに腹落ちするし、『いつかどうにかするだろう』というところに親自身がなっていく。
ひきこもりは、克服するような敵ではない
自分がギリギリのところで生きるための味方のようなもの
〜小説家の旭爪(ひのつめ)あかねさんの言葉から〜
時間をかけて考えて考えて考えてぬいて
「〜したい」という熟した(納得した)答えが出た時
自分の重さ(タイミング)で枝から離れていくもの
必要なくなった時に離れ、逆に必要になったら不登校•ひきこもりをすることはある。
夏休みも後半になり、新学期のことを気にされているお母さんも多いと思います。
私も不安と緊張で、この時期は心穏やかではいられませんでした。
でも、目の前の『行くか行かないか』『できるかできないか』などに焦点を当てるのではなく
少し視野を広げるというか俯瞰して、長い目で子どものことを信じることができたら
親も子も少し楽になれるのではないかと思っています