息子がまだ小中学生の頃は、今ほど不登校に関する情報がなかった。
なので、自分の足で直接、相談機関や親の会や勉強会に出向いて情報を取りに行くしかなかった。
今は、SNSで誰でも(私のような素人も含めて)発信ができるので、巷には不登校の情報が溢れている。
そこで、ちらほら見聞きすることに、ちょっと気になることがある。
・学校に行かなくていいと思えない。
・大丈夫と思えない。
・不登校になってよかったと思えない。
・どん底に落ちないとダメですか?
不登校の解決のために必要な条件として捉え、『そう思わなければ、、、でも思えない』というお母さん達の焦りというか苦しさが伝わってくる。(私もそうだった)
これらは、そもそも学校に子どもを戻すために無理やり自分に思い込ませるものではなく
親が自分と向き合いながら、これまで握りしめてきた価値観やその背景に気づき、執着を手放していくことや自己受容をしていった先に、ふっと感じられるようなことであって、先にそれありきではない。
一瞬で価値観を変えられる人もいるかもしれないけれど、私など意識を変えていくのに何年もかかったし、変われたと思っても、何かのきっかけで過去の価値観が瞬時に反応することはよくある。
自分軸を作っていくのは、繰り返し繰り返し、とても地道な作業だ。
不登校の最中に上のような考えに至るのは簡単ではない。
例えば、どん底を味わうことは、もがき苦しんでいる渦中では『あ〜今がどん底だから良かった』などとは思わない。
過ぎ去ってみて、振り返った時に『あのどん底があったからこそ今がある』と思えるのであって、どん底を経験しないと不登校から回復しないというものではない。
不登校は辛すぎるから、親として手っ取り早く効率のよい正解を知って、なんとかしたいという気持ちは、自分もそうだったからよく分かる。
ても、そんなに簡単で単純なものではないし、数学の問題を解くように明解にはいかないのだ。
私もまだまだ模索中ではあるけれど、長年の葛藤の中で変わってきたことはある。
・学校に行かなくていいと思えない。
(私の場合)これはなかなか手放せなかった。でも、息子が学校というシステムに合わないと理解してからは、そう思えるようになった。
・大丈夫と思えない。
(私の場合)大丈夫と思いたいけれど、実際はそうは思えなかった。そして、思えない自分はダメだと責めて苦しかった。今でも思える時と、そうでない時とがある。
・不登校になってよかったと思えない。
(私の場合)自分にとっては、生き方を変えることができた出来事だと思っている。不登校のおかげだと思えるようになったのは、ずいぶん後からだった。
・どん底を経験しないとダメですか?
(私の場合)どん底があったからこそ、今の自分があると思っている。たいていの親も子も不登校でどん底の時というのはあると思うけど、それは後から振り返ってみて分かること。
『こう思えないから自分はダメ!』と考えがちだけれど、そんなことはない。
葛藤すること、悩むことで人は成長していく。
どんな自分であっても受け入れてあげたい。
それが、どんな我が子でも受け止められることでもある。
自分の本音を見て見ないふりをせず、認めてしっかり向き合うことが大事だと思っている![]()