その日は、私の誕生日だった。
朝、布団の中で目が覚めて、しばらくしたら自分の誕生日だったことに気がついた。
家族が「おめでとう」と言ってくれるだろうと思いつつ、まずは自分で自分を祝おうとセルフハグしてみた。
心の中で『これまでよく生きてきたね。誕生日おめでとう』とつぶやいたら、涙が出てきた。
それは、私が自分の誕生日に心から『おめでとう』と思えた初めてのことかもしれない![]()

私はずっと、自分の誕生日を積極的に人に知らせることをしてこなかった。
「おめでとう」と言われることに、ムズムズするというか違和感を感じてしまうからだ。
たから、人が誕生日だとはしゃいでいることが、イマイチ理解できなかった。
(もちろん、子どもが生まれてからは息子の誕生日は親として心から嬉しく、その成長を喜べた)
自分の恥ずかしがりやの性格もあるけれど、育った環境も大きいと思っている。
6歳まで一緒に暮らしていた祖父は、気難しく、派手なことや楽しいことを嫌う人だった。
母は、そんな舅や姑のもとでとても抑圧的な生活をしていた。
自分や弟の誕生日には母がごちそうを作ってくれていたが、そんなに祝福された覚えもなく、他の家族の誕生日を祝うこともなかった。
父親も全く無関心で、我が子の誕生日だから早く帰って一緒に祝うということもなかった。
そのせいか、自分の誕生日をアピールしてはいけない、自分だけ幸せではいけない、はしゃいではいけない、どうせ私にはそんな価値はない、期待して傷つきたくない、、、、などのゆがんだ思考が身に付いたのではないかと想像する。
その思考は、私の生き方や子育てに大きく影響してきた。
たまたま、その日は陽さんの『ハピスマ講座』で、『エゴを育てる』ことについて学んだ。
『エゴ』というと、わがままとか自分本位とか、マイナスのイメージを抱いていたが、本来は「理性と本音の調整役」なのだそうだ。
理性による『べき・ねば』と本音のせめぎ合いを、『エゴ(自我)』が折り合いをつけるくれる。
その過程で、自分を守るために『思考のクセ』や『心の防衛反応』が生じてくる。
その視点で自分の誕生日についての認識を見つめてみると、なんとなく理解ができた。
生きていく上で自分で身につけてきた理性の部分と、『本当は大切にされたい』という本音の部分がある。
そのことに気づくと、ふっと楽になった。
私は思い切って、講座の中で「今日は私の誕生日なんです!」と言ってみた。
参加者さん達が「おめでとうございます」と口々に言ってくれて、素直に嬉しかった。
あ〜、これでいいんだと思えた🥲
エゴさんが調整してくれたのかな?
人生も折り返し地点を過ぎてかなり経つのに、今さらという感じもあるが、気づけてよかったと思うことがたくさんある。
体は年々衰えていっても心は成長し変化し続ける。
心のことを学んできて良かった、、、![]()