一生懸命で必死で
息子のことが第一で
自分のことは後回しで犠牲にして
仕事復帰もあきらめて
癌にもなって
あんなに息子のために頑張ってきたのに、これかよ、、、
高校を辞めて無所属になり、ひきこもってしまった息子への数年前の私の心の声です。
とにかく幼い頃から
息子を普通に近づけなければ
集団に適応させなければ
私がなんとかしなければ
そればかりが頭にあり、将来への不安でいっぱいでした。
なぜなら、息子はこれまで私が出会ったことのないタイプの子どもだったからです。
集団に入れない
こだわりが強い
切り替えが苦手
好きなことしかやらない
我慢ができない
コミュニケーションが苦手
認知の歪みがあり話が通じない
感覚が過敏である
変化が苦手で不安が強い
友達がいない
よく言われる、でき『ない』所ばかりに目を向けて、それをなんとかしようとしてきました。
でも、それは脳の特性であって、根本的に変えられるものではないのです。
『なんとかしよう』とすることは、目の前の息子を否定することでもあります。
口には出さなくても私のそういった意識を息子は感じ取り、ダメ出しばかりされているように思っていたことでしょう。
一番身近な親に認められていないのだから、自己肯定感も育ちません。
それは、親心というか愛情からかもしれないし
親のプライドとか世間体のようなものもありました。
では、息子が大学に進学したり就職したりすれば私は満足し、努力が報われたと思うのでしょうか?
それも(今の私には)どこか違います。
息子に『ない』と思っていたことは
周りを気にしない、流されない
自分を持っている
高い集中力がある
物事の本質や意味を深く考える
細かいことに気がつく
正直で嘘がつけない
裏表がない
心が純粋である
欠点と長所は表裏一体であることが、私の中でようやく腑に落ちてきました。
息子のことをまるごと受け入れられてきたように感じます。
同時に、私自身をまるごと受け入れられたことでもあります。
なんとかしなければと頑張っていた時の私は、常に体がガチガチでした。
今思えば、緊張とストレスがずっと続いていたからです。
努力至上主義で、人並みや世間体を重んじる他人軸で、人より優れていなければと比較しまくりだった私は
心も体も柔軟性を無くしていたのです。
それでは、病気にもなってしまいます。
あの頃の私に、今の私からは
そんなに頑張らなくてもいいよ
あなたは十分頑張ってきたよ
息子は自分の力で生きていくよ
今をしっかり楽しんで
自分の人生を大切にして
そんな言葉を送りたいです。
今年の漢字を考える機会があって、私は
『緩』にしました。
心も体も緩めてリラックスする。
ゆとりを持って過ごす。
私が安定し、ゆったりとすることが息子の安心にも繋がります![]()