本田秀夫先生(精神科医)の講座を視聴した時に、胸をえぐられるような言葉があった。
『せめて五体満足に』というのは、乙武さん(『五体不満足』の著者)を人間として見てないということです。『せめて高校だけでも出てほしい』というのは、高校に行ってない人を人間として見てないということです。
うわ〜鋭い!なんて真理をついた言葉だろう![]()
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多様性などと口にしていても心の中には様々な差別意識が隠れている。
化けの皮をかぶっているみたいだ、、、![]()
親の
せめて昼夜逆転をなおしてほしい(昼夜逆転している人はダメだ)
せめて学校に行ってほしい(学校に行ってない人はダメだ)
せめて外に出てほしい(外に出ない人はダメだ)
せめてアルバイトくらいしてほしい(アルバイトもできない人はダメだ)
ハハハ、私は全部思ってたね![]()
この『せめて』は、裏返せば目の前の子どもを否定していることになる。
もちろん、親としての期待や夢もある。
同調圧力の強いこの日本社会で生まれて育ってきたなら当たり前かもしれない。
だが、特に発達特性のある子どもにとっては、親の『せめて』が高いハードルになりかねない。
それが息子を苦しめ、心の回復を遅らせていたことを私はひしひしと感じている。
せめて、、、せめて、、、と、ハードルを下げていったら、たどり着いたのは、息子の命があること、息子が存在することだった。
目の前のそのままの子どもを受け入れられたら、きっと親も子もハッピーになれるだろう。
自分の心の奥の見たくない部分にも向き合っていくことは、キツいけど大事なことだ。
人の中にある差別や偏見はゼロにはならないにしても、気づいて受け入れて緩めていけたらいいなぁ![]()