父が亡くなってから20年近くになる。



母への想いと比べると、父とは関わりが少なかったせいもあり、思い出す頻度も少ない。



ふっと思い浮かぶのが、父が声を荒げた時の私の反応だ。



めったになかったが、たまに父が私を強く叱責することがあった。



父の前では平気な顔をしていても自分の部屋では涙が溢れて止まらなかった。



声を殺して一晩中泣き続けていた泣くうさぎ



私は、ふだんは負けず嫌いの頑張り屋の子どもだったので、家族の前でメソメソした姿は見せなかった。



でも、心は傷つきやすい繊細な子だったのだろう。(当時は私自身も親も全く気づかなかった)



今でも夫の大声に過敏に反応してしまうのは、このことが関係しているのかもしれない。



子どもの頃のあれは何だったのだろうか?



心のことを学んでいくうちに、その事がひっかかっていた。





先日の講座で「未完了の感情」が話題になった。



もしかしてこれなのかしら?と思った。



(AIによる概要より)





父は企業戦士ではないけれど、昭和の時代のやり手公務員だった。



平日は接待三昧で帰りは午前様、休日には朝早くからゴルフに出かけていた。



同じ家にいても、まともに顔を合わせることはなかった。



父がゆっくりするのは、お盆とお正月くらいで



その時は、父が食卓にいることに違和感さえ感じた。



休日はもちろん、誕生日もクリスマスも卒業式も入学式も台風の日も



いつも母と弟と3人だった。



そんな父に不満を抱いていた母は、私に愚痴をこぼしていた。



母は父のことが好きで結婚したわけでもないようだったので



私は母に同情して肩を持ち、味方になって自分が守ろうとしていた。



一方、家庭を顧みない父のことは嫌悪していて、反抗的な態度をとっていた。



そんな中で、たまに父が声を荒げると涙が止まらなくなる。



今思うと私には、父に自分を分かってもらえない、理不尽に怒られることへの怒りと悲しみがあり



その奥には、自分をちゃんと見てほしい、関心を持ってほしい、愛してもらいたいという想いがあったのではないかと想像する。



父の頭の中は、仕事と出世と自分が遊ぶことでいっぱいで



子どものことなど全く眼中になく、無関心だった。



おそらく我が子の年齢や学年も知らなかったのではないかと思うくらい、会話も一切なかった。



6年生の時の担任がある日の授業中に、何の話からか我が子の写真を切り貼りしてアルバムを作っていることを嬉しそうに話した。



そのことに私は衝撃を受けた。



お父さんが我が子のためにそんなことをするんだ!そんな家庭があるんだ!その子はなんて幸せなんだろう、、、



翻って、自分は父親から何もしてもらっていない、そんなふうに愛情をかけてもらったことがない。(経済的には困らなかったけれど)



涙がこぼれそうだった。





結婚してから遠く離れてしまうと、父は歳をとったせいか優しくなった。



孫のことも可愛がってくれて、良好な関係になったけれど



がんになって、あっという間に亡くなってしまった。



生前、父が「自分は良い人生だったが、子どもの事に関してだけは後悔している」みたいなことを人に話していた。



父は心のどこかで、子ども達に十分関われなかったことに申し訳なさを感じているようだった。





私の中にあった父親からの愛情を求める気持ち、家族で仲良くしたいという気持ち



総じて、満たされないさみしい気持ちがあった。



そんなことを数十年も経った今頃になって感じている。



お父さんに優しくしてほしかったよね、、、


さみしかったんだね、、、


いっぱい傷ついていたんだね、、、


家族で楽しい思い出がほしかったよね、、、



これは、私のトラウマの一つだと思う。



トラウマは誰にでもあり、それが生きづらさや困りごとの原因になっているそうだ。



子どもの頃には気づかなかった、受け取ってもらえなかった感情を



今の私がしっかりと受け止めて癒してあげたいおねがい