自分を責めるのは、私の場合、息子と母に関することが多い。



息子のことでは、『あの時、ああすればよかった、もっとこうすればよかった、自分のせいだ、、、』と、後悔と自分責めをしてきた。



それでも、現在はずいぶんと頻度が減ってはきている。






母は現在、施設に入っている。



そのことに対して、私には罪悪感がある。



野山が大好きで、畑で野菜を育てて料理をして、いつも家に花を飾って楽しんでいた母にとって



施設は、(認知症もあり)話し相手もなく、目が見えなくなって自然を愛でることもなく



無味乾燥でつまらない場所だとわかっているからだ。



娘として母に幸せであってほしい、そばで面倒をみてあげたい。



でも、現実にはそれが叶わない悔しさと悲しみがある。



その罪悪感が、母が米寿を迎えるにあたってがぜん強くなってきた。



お祝いしてあげたいと思っても何もできないからだ。



食べ物の持ち込みは禁止。


外出も禁止。


目が見えないので、お花をプレゼントしても見ることができない。(匂いはわかるかも🌹)



義母の時は、私が音頭をとってかなり盛大にお祝いしたので



母にも同じようにしてあげられないことが残念でたまらない。



それに、弟も何かしてあげようという思いがないみたいなのだ。



せめて、弟家族だけでも何かお祝いをしてくれたらと思うが



そういう考えはないようだ。



男女の違いなのか、母に対する想いや対応が、弟と私では違う。





先日、自分責めのワークに参加した際に、どういうことで自分を責めているか探っていった。



すると、母の米寿のお祝いに何もできない自分と、弟への不満があることに気づいた。



その奥には、『喜寿とか米寿のお祝いは、孫や子が集まって美味しいものを食べて祝福する』という私のイメージというか思い込みがあった。



現実は



母は外に出られない

外食はできない

差し入れもできない

目が見えない



ということだ。



さらに、視点を変えて少し引いた所から視野を広くして考えてみた。



自分責めをしている私に言ってあげたいことは



これまで、できることはやってきたよね。

弟達を動かすのは難しいから、自分でできことをすればいい。

会いに行って、心を込めてお母さんに向き合えば、きっと喜んでくれるよ。



そんなことが思い浮かんだ。



講師の方から「自分の親が弱っていく姿を見るのが辛いという気持ちにも寄り添ってあげてね」と言われた。



若い頃の優しかった母の面影が強く残り、現実がなかなか受け入れられない私がいる。



考えてみれば、弟は毎週面会に行ってくれて、私が帰った時には義妹も気持ちよくもてなしてくれる。



それには感謝したい。



兄弟でも親に対する思い入れは異なる。



自分の思い込みに気づき、自分の気持ちに寄り添うことで



私の気持ちが少し軽くなった。照れ



短い時間だけれど、心を込めて母と話をして、触れ合ってこようと思っている。おばあちゃん