近くのスーパーで、ぶりのかまを売っている。
塩を振って焼いたら、夫が「油が乗っていてうまい!」と言うので
ちょくちょく買うようになった。
昨日の夕食もぶりかまを食べた。
それをオンラインのグループワークに書いたら
「どういうふうに(家族で)分けたんですか?」という返信があった。
そうだった![]()
そのグループでのオンラインの会が前日にあり
そこで、私は自分がいつも切れっ端を食べていることにモヤることを話したんだった。
例えば、チャーシューやローストビーフといった肉の固まりや
刺身の柵やカツオのたたきなどを切り分けた時
夫や息子には、中の大きい部分を、私は端の部分を食べている。
ある時『あれ?』と違和感を感じた。
当たり前のようにしていたことだが、ふと、自分で自分を粗末に扱っているように感じた。
それは、母がいつもそうしていたから私も自然にやってきたことだ。
そこには、これまでの家庭での女性の立場とか自己犠牲とか思いやりとか
様々な問題が見えてくる。
母は、畑でできた作物でも料理した物でも
きれいで良い物から人に与える人だった。
『私だって大きい所を食べてもいいじゃん!』と思ってはいたものの
今回のぶりかまも夫に1番大きい部分を、息子には次に大きい部分を、私はその残りだった。
相変わらず自分の皿には、無意識というか習性のように切れっ端をのせていた。
すると夫が「この大きい所は、骨が多くて食べにくい。そっちの小さい切れ端でいいのに」と言うではないか![]()
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そういえば、オンラインの会で
「切れ端が好きな人もいる」
「私は自分で中の美味しい所を食べる」
「自分は少食なので端でもいい」
などなど、いろんな考えが出てきて面白かった![]()
そうだ!今度は私が1番でっかい部分を食べてやろう!夫には(食べやすい)切れっ端をあげよう。
と、1人心の中でほくそ笑んだ![]()
自分の思い込みや考え方のクセはなかなか変わらないけれど
まずは、気づくことから始めて
自分の『べきねば』を見つめてみよう。
