私は、感情は表に出してはいけないもの、押し殺すものだと思ってきた。



感情の起伏がなく、いつも穏やかで落ち着いているのが良いことだと思っていた。



なぜ、そうなったか。



母がそうだったから。



母は、感情を押し殺して家庭の中で生きてきた。



それは、母の育ってきた家庭環境によるところが大きいけれど



その母を見て育った私も、感情をあらわにすることを良しとしない人間になった。



だから、感情を爆発させる人に違和感を抱いたし、感情のコントロールができないのかと、ばかにもしていた。



しばしば激昂する夫のことは、理解できなかったし、なんて幼稚な人なんだろうと思っていた。



反面、不思議なことに自分は、感情豊かな人に惹かれることもあったし、外国人の大げさに見える感情表現を楽しく感じた。



心の中では、感情を解放できる人がうらやましかったのかもしれない。



息子のことがきっかけで、あれこれ学んでいくうちに、子どもは感情を受け止めてもらうことが大切だと知った。



自己肯定感にも関係していると。



ある講座の一コマで



怒りを受け止めてもらえなかったら(「やめなさい」とか「がまんしなさい」とか)

下矢印

怒れなくなる

怒ってはいけない

怒ることはみっともない

怒ることはむだだ

下矢印

怒っちゃだめだ

怒る人をさげすむ

子どもっぽいと思う


となると教わった。



まさに、これ、私だ、、、ガーン



幼い頃の私は、おそらく、自分の感情を親にじゅうぶん受け止めてもらえなくて



がまんすることを身につけていったのだと思う。



我が親の未熟さに腹も立つけれど、母も幼い頃に実母を亡くし、感情を受け止めてもらえずに育ってきたのだろう。



そして、私も息子の感情をしっかり受け止めてこなかったのではないかと、今さらながら思う。



講座の中で、自分を安心させるリソースを探すワークをやると



好きな場所:海が眺められるだんだん畑の上

好きな香り:畑に植えられていた梅の花の匂い

好きな食べ物:母が作ってくれたちらし寿司、パイナップルケーキ



なぜか、子どもの頃のことが次々と脳裏に浮かんできて、温かな気持ちになった。






子どもの頃の私は、無意識にがまんしてきたことも多かったけれど



自然の中に一人で身を置くことで癒されてきたのかもしれない。



そして、母の愛はあったのだ。



二十歳すぎで社会に出ないまま結婚し、何もわからずに親になった母だけど



舅や姑のことだけでいっぱいいっぱいだったであろう母だけど



子どもへの愛はあった。



ふと、夜遅くまで起きて私の洋服を手作りしてくれた母の姿が思い出された。



母から父や祖父母の悪口を聞かされてきたので



うちの家は、だめで嫌な家族だと思い込んでいたけれど



私の望んだ形ではなかったけれど



父や祖父母にも愛はあった。





自分の生きづらさが親との関係から来ているのかと思うと、腹が立ち恨めしくも思う。



ても、愛はあったのだと気づくと



自分のどんな過去も受け入れられる。



全部含めて、今の自分があるのだから。



だんだん畑のてっぺんまで上がって、海を眺めたくなった。



母のパイナップルケーキが食べたくなった。





長い間押し込めてきた自分の感情をしっかり感じて、大切にしてあげようと思う。