前回のブログで思い出したことがある。
息子が中学生の頃、どん底状態でどうにもならなくて
ワラをもつかむ思いで、遠方の精神科医を親子3人で訪ねた。
その医師は業界では重鎮で、全国から医師が研修に来るくらいの方だった。
事前に問診表を書いて、3人で診察を受けた。
すっかり忘れていたけれど、その医師に言われたことが興味深かった。
まず、息子のことは
「この子はある意味天才だから、障害ではない。学校なんかに行かなくていい。好きなことがあれば、それをやればいい」
夫のことは
「脳みそがトランプ大統領と同じ。(ジコチューってこと?)発達障害はない。母親との関係も良好で、愛着障害はない」
私のことは
「発達障害がある。(私の)母親との間に愛着障害があり、息子との間にもある」
最後に「これまでよく頑張ってきたね」と私に言ってくれた。
その言葉にぐっとくるものがあった
そうなんだ、私の生きづらさはそこから来ていたんだ、、、
私、頑張ってきたんだね、、、
モヤが少し晴れたような気分だった。
それにしても、特性アルアルで、明らかにアスペルガーだと思っていた夫ではなく
私の方に発達障害があると指摘されるとは、驚いた。
そして、一卵性親子と言われるくらい仲良しだと思っていた母との間に愛着障害があったとは。
夫のことはイマイチ納得がいかないが、私のことは遠からず当たっていると思っている。
家族や友達は誰もが「そんなふうに感じたことは一度もない」と言ってくれたけど
周囲との違和感、生きづらさは抱えていた。
息子のことは、学校に行かせることを私がなかなかあきらめられなかった。
息子は、今もあいかわらず自分のやりたいことを探している。
そして、先々は福祉のお世話になることも考えている。
(息子の場合)好きなことだけでは生きていけない。
社会の中で生きていくのはなかなか難しいのが現実だ。
あの精神科医に言われたことは、受け入れたいような受け入れられないような複雑な気持ちだ。
全てが正しいと思っているわけではない。
別の医師による息子への診断は違っている。
それでも、息子の特性は夫のせいだと思っていたけれど、自分にも因子があるのだと理解したし
息子には「家族はみんな仲間だからね」と言えたのはよかったと思う。
うちは、少数派の家族なのだ
今回思ったのは、相談する相手によっては、同じ人間に対してでも見方、捉え方が全く違うということだ。
息子の中学のカウンセラーには「(私が)頑張り屋の子どもだったことに問題がある」というふうに言われた。
逆に精神科医には「よく頑張ってきたね」と言われた。
息子に対しても相談相手によって、真逆のことを言われたこともあった。
言われた側の受け取り方、解釈もある。
生き方、在り方を選ぶのは、決めるのは、自分だと思う。