『ワラタネット交流会』で、棚園正一さんのお話を聴いた方達のブログを読んで
さらにいろいろと考えさせられている私です。
それだけ、棚園さんのお話は
現在の棚園さんになるまでの
葛藤や成長を丁寧に語られた
奥深く濃い内容でした
棚園さんは
誰も恨んでない
と穏やかに話されました。
普通は、恨むよね~
不登校のきっかけになった
先生とか、友達とか
自分を受け入れてくれない(と感じる)
学校とか、社会とか。
でも、ぜ~んぜんそんな感じではなく
不登校になったご自分をも受け入れていました。
無理やり不登校を清算することや
何かの価値に変換することもないし
(不登校が)無駄じゃないと思ったら負担になる。
不登校よりもどんな人かが大事
不登校を何か意味のあるものにしようとする必要はなく
人生に起きる出来事の一つくらいに捉えるくらいでよいのだと思いました。
不登校がその人の全てではないですよね。
先日、フィギュアスケーㇳで活躍された
鈴木明子さんの記事を読みました。
摂食障害に苦しみながら
自分を取り戻していった話です。
(記事から抜粋)
ご飯すらまともに食べられないような自分になったとき、母親が、「どんなあなたでも受け止める」と言ってくれたんですね。
それから、強い自分も弱い自分も私自身なのだから、弱い自分とも手をつないで歩んでいこう」と思うことができるようになりました。
(中略)
でも、強そうに見える選手だって、本当はいろいろなことを抱えてがんばっているんですね。
私だけが弱いんじゃない、みんないろいろあるんだよなと思ったときに、「こんな自分でもいいじゃん」と思えるようになりました。
(中略)
私自身、弱い自分を認められるようになったら、いろいろな人を受け入れられるようになりました。それまでは、自分が完璧を求めるゆえに人に対して少しイライラしてしまうようなことがあったんですね。
しかし、弱さを認められるようになり、自分と異なる考えを受け入れることや、考えの違いを理解することができるようになったと思います。
でも、弱い自分も受け入れられた時
こんな自分でもいいじゃんと思えた。
そんな彼女の言葉が心に沁みました。
鈴木さんの若さでそのような思いに至ったのは
ご本人が、生きることに、自分に、真剣に向き合ってこられたからだと思います。
棚園さんも鈴木さんも
若い頃の辛く苦しい経験で
人として大きく成長されたのだと思います。
ワラタネット交流会のグループトークで
どなたかが、棚園さんのことを
「自己受容ができている」
と言われました。
自分を否定しない。
自分のどんな感情も受け入れられる。
自分にダメ出しすると
人にもダメ出ししてしまいます。
自分のダメな部分も含めて
こういう自分もありだよね♡
そう思えるようになると
どんな我が子であっても
受け入れられるようになると思います。
葛藤し悩んで揺れる私も私自身だし
そんな自分も好きです。
いろんな自分と付き合いながら
自分の機嫌を取りながら
生きていこうと思えるようになりました
息子の子育てで悩んだ私が
以前の私よりも今の私が好きだと思えるのも
自己受容が進んだということかもしれません