『ヴィオラ母さん』は、ヤマザキマリさんのお母さん、リョウコさんの話だ。
マリさんは、17歳で単身イタリアに渡って美術を学び、『テルマエ・ロマエ』をヒットさせた漫画家。
コロナのせいでイタリアに帰れずに日本に滞在していて、テレビでよく見かけた。
波乱万丈なマリさんの人生のお話は、とても面白く、コメンテーターとしても活躍されている。
私は、型破りな人に憧れる。
例えば、今話題の日本ハムの新庄剛志監督。
破天荒で、おもしろそ~
私が、型にはまった人だからかな?
私は、常識や世間体を気にしたた生き方をしてきた。
だから、そんなことを気にせずに生きている人がうらやましい。
🍐🫒🍋🫒🍐🫒🍋🫒🍐🫒
ヴィオラ母さんの子育ては、規格外で、ぶっ飛んでいる🤯❢❢
シングルマザーで、ヴィオラの演奏家🎻
のリョウコさんは、自分の演奏活動が忙しく、子どもは放ったらかし。
今だったら、ネグレクトとして通報されるかもね😁
マリさんたち姉妹は、夜遅くまで虫取りをしたり、遊泳禁止の川で泳いでいてもそれを叱られることは一切なかった。
リョウコさん自ら川に入ってみるくらいだ。
リョウコさんは、おにぎりと手紙とおかずのための1000円を置いて仕事に行く。
そこには、子どもへの絶対的な信頼があった。
(以下、色付きの部分は引用です。長いのですが、感銘を受けたのでそのまま載せます)
いつもそばにいればいいという
ものではない。
ずっと子供のことばかり考えてくれればいいというものでもない。
親というのは、子供にとって、まず、強く生きる手本であるべきだと思うし、手放しでも子供がしっかり育っていけること、生きていけることを信じてあげられるべきなのだと思う。
遠方の演奏旅行には、娘たちを何日間も学校を休ませて同行させた。
世間体なんて気にしなくても良い。
「人は皆それぞれ違う」という理念を伝えようとしていた人だったし、私たちが彼女の思い通りの行動をとらないことがあってもそれで怒られることはなかった。
「学校という狭い社会だけが世界じゃない」と確信できる機会を、それなりの勇気を持ってリョウコがいくつも創ってくれた。
マリさんが、画家になりたいた言ったら、中学生の時にヨーロッパの知り合いの所に行かせてくれた。
子どものやりたいことを尊重してくれた。
リョウコにしても、家に帰ってきていても、仕事でやるべき音楽を就業外の自由時間にまで楽しそうにやっているのを見ると、本当にこの人は、音楽に支えられて生きているんだな、と自然に感じとっていたのだ。
だから、私も子供の時から「本当に自分にできること、ずっと続けていけそうなこと、やりがいのあることを職業に選んで当然」だとおのずと思っていたのだ。
自分が選んだことに熱意を注ぎ、これなら続けていけると思えることであれば、何でもいいのだと。
生きることは、楽しいということを教えてくれた。
ありのままに生きていて充足している人は、等身大以上の自分になろうとしない。
自分はこうありたい、こういう人間であってほしい、という理想もなければ、それを叶えるために躍起になったり虚勢を張ったりすることもない。
なぜなら、今の、この世に生まれた、かくある自分で十分満ち足りているからだ。
リョウコが子供を産んでも、世間が作り出した母親像をほとんど意識することなく、独自の子育てを通し続けられたのも、命の自由を謳歌し、波乱万丈でも「生きることって結局は楽しいんだよ」ということさえ子供に届けばそれでよし、とどこかで確信していたからなのだろう。
それって、子どもへの大きな
プレゼント🎁✨
だと思う。
ヴィオラ母さんは破天荒だけど、子育てで大切なことを教えてくれた。
🍐🫒🍋🫒🍐🫒🍋🫒🍐🫒
私の母は、真逆な良妻賢母タイプ。
おしん並の忍耐強さ😨
自己犠牲で家族のために尽くしてきた。
(だから、我慢するのが当たり前だと思っている)
人には優しく、自己主張もしない。
(だから、自己主張する人を嫌がる)
時代が要求してきた女性像に、自分を一生懸命に合わせて生きてきた多くの女性達の姿だ。
私は、母のことは好きだ。
母の価値観は、私の人生に良くも悪くも影響を与えている。
○○すべき、○○であらねばならないと、自分で自分を縛ってしまう。
だから、息子が世間のレールからはずれるのが怖かった。
ものすごい恐怖だった😱
そして、なんとかそれにしがみつかせようとしていた。
でも、はずれてもなんてことはない。
そもそもレールなんて、自分が勝手に思ってた幻想かもしれないし。
レールを外れた方が、楽かもね。
今の私は、息子に自分らしく自由に生きてほしい、人生を送ってほしいと思っている。
それには、まずは、親が自分の人生を楽しむ。
自分らしく生きる。
それが、子どもへのメッセージになる。
そんなことにやっと気がつけた☺️
