来年から、大河ドラマ「麒麟がくる」が始まりますね。

 明智光秀が主人公で、庶民に一番人気のある戦国時代のドラマとあって、

光秀所縁の土地である、岐阜県の各自治体からは大きな期待が寄せられているようです。

 

 

 

 そんな所縁の地として名を挙げている山県市には、昔から「桔梗塚」と言われる、明智光秀公の墓があって、地域の荒深姓の方たちが中心となって祀られて来ています。

 私も、ずっと以前にブログで、このお墓の事を紹介していますが、光秀の墓はここの他にも、京都や滋賀県にもあるようですね。

 

 

 光秀は、天正十年山崎の合戦で秀吉に打たれて死んだのは、光秀の影武者とされる、荒木山城守信幸とされていて、光秀は、忠誠を尽くしてくれた荒木山城守の「荒」取って荒深小五郎としてこの地の寺に身を寄せたと伝えられています。

 

 そして、慶長五年の関ヶ原の戦いの時には、東軍に味方せんと村を出たが、途中、根尾村の藪川の洪水で馬と共に押し流され溺死。 その遺骸を山城守の子吉兵衛が村に持ち帰り、この地に葬ったと伝えられているのです。

 

 

 

 

 

 

 ここ、山県市中洞の地には、光秀の出生した土地とも言われているようで、桔梗塚の直ぐ隣にある、白山神社の境内近くには、光秀所縁の「うぶゆの井戸跡」まで残されています。

 

 光秀の伝説は、関市洞戸菅谷にも残されていて、中洞の山を越えると洞戸菅谷になるのですが、その昔、光秀幼少の頃、母親に連れられ、九頭師坂を上って菅谷郷に入り、薪拾いに来ていた話や、西洞寺で勉学に励み、その秀才ぶりが噂されていたことなどが言い伝えが遺されています。

 

場 所: 岐阜県山県市中洞1020

       国道256号 美山第一トンネル付近