東日本大震災・三陸地方の大津波(11日)
13年前を思い出していました、地震発生当日から翌日までは夜を徹して宮古市田老の情報を集めていました。
私は山形県の内陸地方で生まれ育ちましたが、40年ほど前に他界した母親が現在の宮古市田老の出身でした、明治37年生まれで昭和8年(1933年)3月3日の大津波を経験していたので、子供の頃に津波の恐ろしさを聞かされました。
亡母の伯父、叔父は亡くなってからは交流が薄くなっていましたが同い年の従兄弟が住んでいましたので、色々な方法で情報を収集した記憶があります、数日後に偶然ですが私の知らない遠縁の方からの情報で無事であることが分かりホッとしましたが、直接の連絡が取れませんでした、無理もないことは神戸の震災で経験していました。
後日、津波の状況が分かりました、母の生家には行ったことが有り、海岸には10mの高さの防潮堤が有るのを見ていましたので無事を祈っていたんですが.....。
10mの防潮堤を越えた津波です。


津波に破壊された住宅街、左に10mの高さの防潮堤が見えます。

不幸中の幸いで縁者には人的な被害は有りませんでした、しかし家屋は無事には保たれなかったようです。

10mの防潮堤でも防げなかった大津波で181名の犠牲者が出ました、その後、田老町を守る防潮堤は新しく14.7mの高さに建設されましたが今迄の津波の高さからは充分とは言えないような気がします。